Humanities(Theology/Literature/History)
エドガー・アラン・ポオの代表作『大鴉』。哀感と音楽とに満ちた物語詩。日夏耿之介氏の飜譯、ギュスターヴ・ドレの挿絵が付いた豪華本を読んだ。 或る厳冬の夜半、亡き恋人を想い悲観に暮れる男の部屋に、黒檀色の大鴉が飛び込んでくる。男はすさびに鴉に名…
近頃読書量が落ちている=心が荒んでいることを危惧した私は、アルベール・ティボーデの『フランス文学史』を購入した。読むべき本を見つける為である。ティボーデが届くまでの時間、私は予習として岩波の仏文入門書を再読する事にした。 岩波の入門書は、19…
堀辰雄の心理小説。別で『美しい村』も読んでゐたのだが、そつちは途中で飽きてしまつた。本作は「ラディゲのやう」と評されてゐるがどうだらう。この小説に限らず、堀辰雄の作品は理知でなく、寧ろ感覚に特徴付けられると思ふ。印象派の絵画のやうに。 私と…
祖父危篤の報を受けて暫し実家に身を寄せてゐる。手持無沙汰で子供部屋の本棚を眺める。英語の参考書が大半、ギリシア神話集にドイツ詩集(読んだ覚えはない)、漱石全集、岩波と新潮の文庫判が数十冊。 『仮面の告白』が目に留まつた。本棚にある他の三島作品…
鷗外の歴史小説。鷗外は死の描写をロマネスクに書く事が無い。 短刀を取って左に突き立て、少し右へ引き掛けて、浅過ぎると思ったらしく、更に深く突き立てて、緩やかに右に引いた。 斯うした具合である。まるで料理の手順書のやう。失礼な喩えかな。 ランキ…
今朝家を出るまへ、本棚からランダムに文庫本を引抜いた。それが『阿部一族』であつた。 鷗外の歴史小説。高等学校の生徒であつた砌、国語科の授業で、内藤長十郎元続が主人に殉死の許しを請ふ場面を読んだ。「死」に関心を示すおませな文学少年であつた私は…
作者の空想が駆使された童話劇。堀口大學譯を読む。 主人公の兄妹チルチルとミチルは「青い鳥」を探す冒険の途上、作者によって擬人化された物質・概念と出逢う。擬人化の対象は犬、猫に始まり、夜や光、植物に家畜、幸福や喜びなど様々。彼ら「人間の言葉」…
1925年新潮社より上梓された山内義雄の飜譯を読む。 『モンナ・ヴァンナ』。"Monna"は既婚女性に対する尊称"Madonna"の省略形、Vannaは女性名"Giovanna"の省略形、つまり「ジョヴァンナ夫人」の意である。名こそドン・ジョヴァンニに通ずる所があるが、本作…
一幕からなる戯曲。1925年新潮社上梓の山内義雄譯を読む。 「闖入者」とは運命の事を云っている。「逃れられぬ運命は如何に我々に逼って来るのか」という主題を、彼一流の対話法と、音や光の象徴で表現している。 メーテルランクの運命論には、『青い鳥』(実…
山内義雄譯、1925年新潮社上梓。メーテルランクの飜譯と云うのは、『青い鳥』と『ペレアスとメリザンド』以外、中々為されない。斯く云うこの『マレエヌ姫』も、管見の限りでは大正時代の山内譯が最も新らしい。山内は泰西戯曲の分野に多くの譯業を為した人…
10日間の休暇も残す所3日。この休みに私は何をしただろう? 幾度目かの禁煙を始めた、特筆すべきはそれ位。あとは平生と変わらない。だがそれでいい。連休に出掛けるべきではない。先日薔薇園に出掛けたが、薔薇の馥郁たる香が愚衆の臭気に覆われて、私は文字…
晴れ。長期休暇の初日。 駒場の前田侯爵邸の敷地内にある日本近代文学館に出掛ける。『ヴィリエ・ド・リラダン移入飜譯文獻書誌』の閲覧が目的である。CiNiiで検索したのであるが、公の図書館には一切所蔵がなかった。斯様に貴重な一册が、何故この文学館に…
幾度目かの再読。 人の世の否定。須臾の裡に楼閣は崩れ、肉は腐り、思想は消え失せる。だから「非創造・実在≪つくられずしてあるもの≫」の裡に遁れ去れ。本作に於る教役者は斯く唱える。だがサラとアクセルはこの理想を抛棄する。「黄金の夢」が、「青春」が…
一粒の麥、地におちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。己が生命を愛する者は、これを失ひ、この世にてその生命を憎む者は、之を保ちて永遠の生命に至るべし。人もし我に事へんとせば、我に從へ、わが居る處に我に事ふる者もま…
四旬節には、イエズスやカトリックに関連する本、映画、音楽を味わう様にしている。本日は遠藤周作の『イエスの生涯』を再読。 本書は深いレアリスムに根差したイエズス伝。「神は愛」。遠藤はこの至純至厳の本質から外るる事なく、イエズスの生涯に「現代的…
幻影は一つ一つ落ちて行つた、果實の皮のやうに。そして果實とは、それは經驗と云ふものである。その味は苦い。然しそこには人を堅固にする苛烈なものがある。 ジェラール・ド・ネルヴァルによる自伝的小説。幼少の砌、イル・ド・フランスの古色蒼然たるヴァ…
J’ai combattu le bon combat. Saint Paul. 1883年3月7日に没したフランスのジャーナリスト、ルイ・ヴイヨ(Louis Veuillot)を悼む趣旨で、4月19日付のル・フィガロ誌上に発表された記事。その後『奇談集(Histoires insolites)』に短篇小説として所収。 短篇…
死に至る病とは絶望のことである キェルケゴール 著者ヴィクトール・フランクルは、ホロコーストを生き延びたオーストリアの心理学者。本書は、強制収容所に於いて限界状況にある人間の姿を、心理学的に記録したものである。人間はいと高き處に近付けるとい…
ダートル伯爵は鍾愛の妻ヴェラの死を全智にかけて否定し、全く妻の死を意識せざる境地に生活する。神秘的な夢に身を捧げる彼の強い意志は、夫人をして常世より立戻らせた。だが彼が妻の死を自覚した刹那、あなやすべての幻影は空中に紛れ、姿を隠してしまっ…
ヴィリエ・ド・リラダンは1861年3月『タンホイザー』のパリ初演を見て感嘆したと書き残している。また同年5月には、ボードレールの仲介によりリヒャルト・ワーグナー(当時50歳)の知己を得た。ヴィリエはワーグナーを深く畏敬し、又作曲家もこの若き天才を愛…
1861年皇帝ナポレオン三世の勅命により『タンホイザー』のパリ初演は実現した。しかしボードレールによれば、『タンホイザー』は「聴かれさへしなかつた」。大衆とジャーナリスムの心無い作品非難に対し、ボードレールは雄勁なワーグナー擁護論を張った。 ボ…
1855年家族に伴われパリに出京する機会を得たヴィリエは、Café de l'Ambiguでルメルシエ・ド・ヌヴィルら文学青年との交流を始める。劇作家として身を立てるべく運動をしたようだが叶わなかった。翌年失意の裡に帰郷する。 ヴィリエは憂鬱にサン・ブリューで…
新宿のカフェで、年端のゆかぬ、それこそ十五にも満たぬ少女らが、楽しそうに援助交際の話をしているのを偶然耳にして以来、心緒が絲の如く乱れている。現代社会の陥っている頽廃の異常な深さに、私は絶望しそうだ。 ベネディクト16世は回勅でこう述べられた…
ロッシーニは偉大だ。『セビリアの理髪師』を聴いている。単純明快、朗らかで心弾む旋律。ドイツ・ロマン派の後期作品ばかりを聴いて凝り固まった我が身に沁みわたる、陽の光。 さて本題。まさかの第2回である。リラダン一家は、マティアス、父ジョゼフ・ト…
シリーズ『ヴィリエ・ド・リラダンの生涯』を連載しようと思う。多分続かない。2月にある『タンホイザー』の公演に向けて、ボードレールのワーグナー論も読まねばなるまいし。 ジャン・マリ・マティアス・フィリップ・オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラ…
ledilettante.hatenablog.com 再読。スウェーデンボルグの「信仰の思想を凌駕せるはなほ思想の本能を凌駕せるがごとし」という言葉が、本物語のすべてを表している。「学問」に裏付けられたセゼエルのヘーゲル流弁證法は、低俗な物質主義の権化であるボノメ…
弘文堂書房上梓。渡邊氏の研究は齋藤磯雄氏が全面的に引継いでおられるから、この本の内容に新しい事は無かったが、以下の渡邊氏の言葉にはと胸を突かれた。 僕はやゝもすれば、リラダンの「人間」としての美しさにほれぼれとして、「作品」自身の持つてゐる…
神は愛なり 一ヨハ4:16 La Pharisienneはパリサイ女の意。この話で問題となる女は、新約聖書に於るパリサイ人が如く律法に忠実で、罪を冒した人間を咎め、"教化"しようとする。「法律の文字の方を精神よりも守ろう」とする。 その結果多くの人間に反感を抱か…
フランソワ・モーリアックが創作の初期に遺した短篇小説。「火の河」とは「罪の状態」の比喩表現である。 處女性を渇望する蕩児と、娘の魂の救いのため手を尽す女、この両者の間を彷徨する娘。前二者は、それぞれ悪魔と神の声を象徴している譯。 モーリアッ…
睡眠薬をもらう為医者に掛かる。薬さえ手に入ればよいのに、何故医者を介する必要があるのか。詮なき事だ。私の尊大な自尊心は、懊悩や孤独を喋喋と口にすることを決して肯じない。こうして文字におこすことはできるのだが。『ペンは弁より強し』。損な性分…