Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

リラダン「ソレームの會見(Une entrevue à Solesmes)」『ル・フィガロ(Le Figaro)』1883

J’ai combattu le bon combat.

          Saint Paul.

 

1883年3月7日に没したフランスのジャーナリスト、ルイ・ヴイヨ(Louis Veuillot)を悼む趣旨で、4月19日付のル・フィガロ誌上に発表された記事。その後『奇談集(Histoires insolites)』に短篇小説として所収。

短篇小説と述べたが、その実はルポルタージュに近い。
ヴィリエは1862年、『イシス』上梓から間もなくソレーム修道院に3週間滞在している。「考古学上の調査研究のため」と本作には記載があるが、事実は、高級娼婦(demi-mondaine)と思しきルイーズ・ディオネ夫人(Mme. Louise Dyonnet)との情事に焦燥していた事、又『イシス』の創作で哲学に被れる裡に懐疑主義へと陥った事とが、逗留の理由と思われる。伯母ケリヌー夫人の助言があった事は疑いないが、ともかくヴィリエはカトリシスムに立戻る事を希望したのだ。

まさにこの機会にである。ルイ・ヴイヨは時同じくしてソレームに滞在していた。この戦闘的カトリックの論説にヴィリエは興味を覚えたらしい。恐らく本作は、ヴィリエが実際に目撃したルイ・ヴイヨと名にし負うソレーム修道院長ドン・ゲランジェ神父(Dom Guéranger)との語らいをベースに書かれたのであろう。

 

だがどうも、脚色の仕方が謎である。

Une cloche, sonnant la prière, interrompit cette causerie, — dont je me suis souvenu, par un radieux midi de printemps, voici, déjà, trois années ! — en face du cercueil de ce grand soldat de la foi chrétienne.

ルイ・ヴイヨの葬儀に立会うヴィリエの独白、「あれから3年になる」とは。ヴィリエは1862年以来一度もソレームへは行かなかったし(ゲランジェ神父と手紙のやりとりはある)、ドン・ゲランジェが没したのは1875年の事であるから、どうしたって辻褄が合わない。まあ夢想的で雄大な詩人に対し、こんな些事を言うのは栓無き事であろう。