Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

20221127日記

あわれみの神 とく來り給へ我等はみな迎へ奉らん 救いの御子 旅行中で御ミサは欠席したが、本日よりアドベント、待降節。悔い改めの時期と雖も、イエズスの受難を想う四旬節と較ぶれば、期待と歓びとに心も騒ぐ。 この時期になると思い出す。昔マリアージュ…

ネルヴァル『オーレリア(Aurélia ou le rêve et la vie)』1855

睡眠薬をもらう為医者に掛かる。薬さえ手に入ればよいのに、何故医者を介する必要があるのか。詮なき事だ。私の尊大な自尊心は、懊悩や孤独を喋喋と口にすることを決して肯じない。こうして文字におこすことはできるのだが。『ペンは弁より強し』。損な性分…

ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ(Борис Годунов)』1874

彌早、今宵のオペラも酷かった。新国立オペラは屡々私を失望させる。現代に於る鹿鳴館の猿共め。ムソルグスキーの音楽は良かった。オーケストラは及第。だが歌手、演出。これらが低劣極まる。歌はピーメン役を除いてあまりに貧弱。演出は軽佻浮薄で貧乏臭い…

ドビュッシー「相思の人の死(La mort des amants)」『ボオドレエルの五つの詩(5 Poèmes de Charles Baudelaire)』1889

www.youtube.com ボオドレエル、『惡の華』の第121篇「相思の人の死」という4.4.3.4の十四行詩<ソネット>に、ドビュッシーが曲を付けた。詩は、相思の2人の愛と死、そして復活という主題。詩譯は齋藤磯雄氏のものを参照した。 Nous aurons des lits pleins d…

メル・ギブソン『パッション(The passion of the Christ)』2004

メル・ギブソン監督作。キリストの受難を描く。全編アラム語とラテン語による、吹替版は監督の意向で作成されていない。サタンの登場以外は、共観福音書に極めて忠実であるように思われる。 世の人の救いのため、自らの尊き命を捧げ給うイエズス。笞打たれ血…

20221112日記

M.N.尊敬すべきあなたが私を大切に思ってくれている。しかもそれを行動で証してくれた。なんという倖せを私に恵んでくれたことでしょう。私は無為な人間ですが、せめて遠くから、あなたの倖せをお祈りさせてください。V.K.M.

ベルトラン『夜のガスパール(Gaspard de la nuit)』1842

この稿本には、諧調と色彩のおそらくは新しい技法が數かずおさめてあるのです。 アロイジウス・ベルトラン(Aloysius Bertrand)による詩集。「散文詩」とはすなわち、無韻無脚でありながら詩的律動を感じさせる文章のことを言うが、ベルトランは『夜のガスパ…

ドン・ボスコ社『愛の使徒 聖ウィンセンシオ・ア・パウロ』1935

神は愛なり(一ヨハ4:16) ドン・ボスコ社発行の『愛の使徒聖ウィンセンシオ・ア・パウロ』なる書物を読んだ。聖人伝とはなかなか面白いものである。 ledilettante.hatenablog.com 前にも書いたが、聖ヴィンセンシオ・ア・パウロは「行動」の人である。教会や…

ドン・ボスコ社『ドメニコ・サウィオ傳』1929

イエス跪づきて祈り言ひたまふ、『父よ、御旨ならば、此の酒杯を我より取り去りたまへ、されど我が意にあらずして御心の成らんことを願ふ』(ルカ傳22:41-42) ドン・ボスコの『ドメニコ・サウィオ傳』を読んだ。ドミニコ・サヴィオはカトリックの聖人。1842年…

ヴィスコンティ『山猫(Il Gattopardo)』1963

ルキノ・ヴィスコンティ監督作。カンヌでパルム・ドール。俳優はバート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディナ・カルディナーレら、ヴィスコンティ作品にお馴染みの顔ぶれ。 教養と秩序、正統美。これぞ芸術。バチカンの推薦を受けるのも宜なる哉。こ…

20221105日記_東京カテドラルにて

人々を強ひて連れきたれ (ルカ傳14:23) 晴れ、よい心地。朝、京都から紅茶が届く。ルフナ地方のルンビニ茶園のもので等級はFBOPF、Flowery Broken Orange Pekoe Fannnings。午餐はフランス料理屋で、Inada fumé、Clepinettes de porcを注文。その後で東京カ…