Mon Cœur Mis à Nu

But, darlings, the show must go on.

2025-09-01から1ヶ月間の記事一覧

20250930日記_死はご都合主義のデウス・エクス・マキナではない

www.youtube.co 晴、蟄虫坏戸。まだ記録を残すまでもないが、先日見た映画の登場人物がひとりごちた「死は物語の結末足り得ない」という台詞が心に引っかかり、思索を巡らせている。 そうかも知れぬ。思えば私が好きな物語は、主要な登場人物がみな最期には…

ジャン=リュック・ゴダール『軽蔑(Le Mépris)』1963

「お金がいるでしょう」「なぜ、そう思うのです」「美くしい奥方をお持ちと聞いています」 死は物語の結末にならない。(フリッツ・ラング) 諸君は知識を求め徳に従うべく生まれたのである。(ダンテ『神曲』) ゴダール監督作、新文芸坐で鑑賞。BBことブリジッ…

ロベール・ブレッソン『白夜(Quatre nuits d'un reveur)』1971

晴、秋分。心地よい休日。丸の内でスエードの黒靴を買った、先日のフランネルスーツと合わせて着用する。 ロベール・ブレッソン監督作。早稲田松竹で鑑賞。最後にブレッソンを見たのは4年前、同じ早稲田松竹でのことだった。思えばこの名画座には随分と世話…

20250922日記_米国の復元力、或は英国の梳毛フランネルに就いて

晴、彼岸を迎えている。今年も炎天酷暑を乗り切った。暑さも寒さも彼岸迄というが、この古い諺は今日でも辛うじて真たり得ている。 註文した秋冬物が仕上がるのもこの季節の愉しみ。今年は英国ヨークシャーの織元、ウィリアム・ハルステッドの梳毛フランネル…

ソフィア・コッポラ『ロスト・イン・トランスレーション(Lost in Translation)』2003

ソフィア・コッポラ監督作。"Lost in Translation" は言語による意思疎通の失敗を意味する訳だが、日本を訪れた2人の西洋人が遭遇したのは、言語の壁に留まらない、日本社会の異質さであった。80年代から90年代にかけて、日本の閉鎖的市場・保護主義政策を揶…

20250918日記_AIを巡る恐怖と希望

晴、玄鳥去。昨日はシンポジウムのために福岡に出張した。シャガール目当てに尋ねた福岡市美術館のコレクションの、矯正し得ない卑俗さを目の当たりにして完全に気分を損ね、せめて平家都落ちの旧跡でもあればよいのに、矢鱈歩かされるし不快な街だと、不平…

ジャック・オッフェンバック『ホフマン物語(Les contes d’Hoffmann)』1881

晴、暑し。白露に入り、秋らしい風も吹くようになったか。 この季節には、無為な夏を過ごした悔恨から、芸術を覓める活動が旺盛になる。ミサに与る頻度も増える。今週末には大学時代の友人に誘われて、ベートーヴェン・プログラム。ピアノ協奏曲第1番から第5…

夜半の雑感

世の風紀の乱れを見るよりは、永田町なり国際政治なりを見て、マキャヴェリックな報告書を作成している方がマシに思えてくるから、虚しい。世の末を思うと、いっそ今、我が玉の緒が絶えて仕舞えばいいと、本気で思う。 SNSは恐ろしい。男の性欲と女の虚栄心…