堀辰雄の心理小説。別で『美しい村』も読んでゐたのだが、そつちは途中で飽きてしまつた。本作は「ラディゲのやう」と評されてゐるがどうだらう。この小説に限らず、堀辰雄の作品は理知でなく、寧ろ感覚に特徴付けられると思ふ。印象派の絵画のやうに。
私と堀辰雄の出逢ひ。14か15の頃、漱石の前期後期三部作を読み了へて、次に何を読むべきか或る人に相談した所、堀辰雄を薦めて呉れたのだつた。中学生に『菜穂子』は分らなかつたが、堀辰雄の文體は記憶に残つた。
堀先生はご自分の好きな本、ご自分の世界の糧となるものを見つけられることがお上手な感じがしますね。
遠藤周作の言葉。彼の言は正鵠を得てゐる。堀辰雄は自分の世界を持つてゐた。そして堀辰雄は、ただそれを書き続けた。だから彼の小説のどの一行を読んでも、そこには堀辰雄の署名がある。堀辰雄の小説を5W1Hで表現してみやうか。すると即ち、
五月の朝、レマン湖畔で、肺病みの男と女が、蜉蝣のやうに交り、水彩画の世界を創る。
これが堀辰雄の小説である。