Epistula ad mē

美というものは、芸術と人間の霊魂の問題である

20230203日記

紅茶届く。ルフナ・ルンビニのFBOPとヌワラエリヤ・ナットボーンなる茶園のOP。後者は店主のセレクトだが、なかなかどうして、上等な葉を送ってくれたものだ。ヌワラエリヤ特有の薄い金色の水色。キャンディやディンブラとは一線を画する、通好みの芳醇さ。

大学時代の副教官から依頼された寄稿文を仕上げる。1通目、聖書やら創立者の言葉やらを引用した分不相応の衒学的文章が完成したため、これは破棄。2通目、後輩への親愛を示す砕けた文章を書いた積ではあるが、まだまだ堅いと思う。だがこれ以上改善するとも思えないため、明朝に提出予定。

やることが山積みだ。仕事もそうだが、人との約束であったり、積読であったり。おかしい。私はどこで時間を浪費しているのだろう? 多分睡眠に時間を割過ぎなのだろう。

ボーヴォワ『神々と男たち(Des hommes et des dieux)』2010

グザヴィエ・ボーヴォワ監督作。1996年のアルジェ、「ティビリヌの修道士殺害事件」を題材とする。テロに巻込まれ殉死する未来を覚悟して修道院に留まるのか、或いは去るのか。修道士たちが決断に至る過程を描く。カンヌでグランプリを受賞。

 

殉教した7名の修道士はベネディクタンの伝統を引継ぐトラピスト会の所属。正式名に"Strictioris Observantiae"とあるように、トラピストは世俗と距離を置き、厳律の下で瞑想的修道生活を送ることで知られている。しかし映画を観て、修道士が村に出て人々と交わることもあるのかと、意外に思った。

 

修道院長であったドン・クリスチャン・ド・シェルジェは軍事貴族の出。父がアルジェ方面軍の指揮官であった関係で、幼少期をアルジェで過ごす。またアルジェ戦争の際にも士官として当地に赴いたらしい。2018年他の6名とともに列福された。

 

ロベール・ブレッソンを思わせる禁欲的な映画。雨の音や雪を踏みしめる音、鳥が啼き羽搏く音、遠くから聞える民族音楽などが印象に残っている。だから最後、修道士たちがワインを酌み交わすシーンの感傷は際立っていた。それを可しとするか悪しとするかは視聴者の感性によるだろう。私はこのセンチメンタルなシーンの挿入により、映画の格が下がったと思っている。

 

 

20230130日記_『ヤコブの書』

ヤコブの書』はいわゆる公同書簡の最初の位置を占める書簡。著者はアルファイの子、小ヤコブ(ナザレの出身でイエズスの親類?)であると考えられている。「行動」の重要性を説く。

 

人もし自ら信心ふかき者と思ひて、その舌に轡を著けず、己が心を欺かば、その信心は空しきなり。

 

靈魂なき體の死にたる者が如く、行為なき信仰も死にたるものなり。

 

ただ御言を聞くのみにして、己を欺く者とならず、之を行ふ者となれ。

 

全く耳が痛い。忸怩たる思い。私は日記に「主よ、主よ、」と書きながら神の愛を実践していない。今日も私は怒り人を傷つけた。「忍耐」を示さなかった。誰が私を通してイエズスの姿を見ることができよう。

私は変わらなければならない。假に明日から変わったとて、過去の罪が赦される譯ではない。だが罪を重ねるよりはマシである。ヴィンセンシオ・ア・パウロの霊名に恥じぬ生き方を。

 

 

...絶望は罪だと分かってはいるのだが、心にあるままを申せば、私はこれ以上罪を重ねるよりも、一層死んでしまいたい。

 

20230129日記

20230128

友人と食事。銀座一丁目のフランス料理店。狭狭しく、料理は美味しくない。現実を生きる友人らの話を聞き、改めて社会の低劣を知る。敢えてこれと相対するは賢明に非ずとの確信彌増すばかり。人皆ひたぶるに神の栄光のみを瞠め生きるべし。

 

20230129

主日。朗読箇所は山上の垂訓。ミサ後シスターと会話。カトリックはマリア"崇敬"であって"崇拝"ではない、その証拠が『天使祝詞』、「今も死を迎える時もお祈りください」という箇所。神への取次ぎを依頼するに留めており、崇拝ではない。我々はめでたきマリアを介し神を崇拝しているのだ、とか。説得力がある。

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(4) パリへ;『處女詩集』

1855年家族に伴われパリに出京する機会を得たヴィリエは、Café de l'Ambiguでルメルシエ・ド・ヌヴィルら文学青年との交流を始める。劇作家として身を立てるべく運動をしたようだが叶わなかった。翌年失意の裡に帰郷する。

ヴィリエは憂鬱にサン・ブリューで文筆活動を続けていた。父ジョゼフは息子の精神状態を案じてソレムへ送る計画を立てたようだが、結局は1858年、若き法律家アメデ・ル・メナン・デ・シェネーと偕に、レンヌに程近きモンフォールへと静養に向わせた。

ヴィリエは牧歌的環境の中で詩作に励む。1858年には個人制作の小詩集Deux essais de poésiesを残しているが文字通り習作でしかない。彼の本命は『處女詩集(Premières Poésies)』であった。高名な製本家ニコラ・シューランをリヨンに訪ねて、3,000フランを払った上で(現代の価値で1フラン=約千円)自費出版するが、文壇からは不評というより殆ど無視された。事実、本作にヴィリエ・ド・リラダンらしさはみられず、時代遅れのロマンティシスムに被れた凡作との評は免れ得ないだろう。後年のヴィリエは本作について、「見つけられる限りの発行部を燃やす」と誓いを立てている。

なお同時期、ヴィリエはルメルシエの友人ビクトル・コシナ主筆の『ラ・コーズリー』誌上に音楽批評を発表している。だがジャーナリズムで糊口を凌ぐことは本意でなかったようで、二度の寄稿(ひとつはあの『イル・トロヴァトーレ』論)で終わった。

 

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(3) 初戀

新宿のカフェで、年端のゆかぬ、それこそ十五にも満たぬ少女らが、楽しそうに援助交際の話をしているのを偶然耳にして以来、心緒が絲の如く乱れている。現代社会の陥っている頽廃の異常な深さに、私は絶望しそうだ。

ベネディクト16世は回勅でこう述べられた。

人をキリスト信者とするのは、倫理的な選択や高邁な思想ではなく、ある出来事との出会い、ある人格との出会いです。この出会いが、人生に新しい展望と決定的な方向付けを与えるからです。

彼女らが何を介してでも可い、イエズス・キリストと出会えるよう、聖霊よ取り計らってください。

 

とんだ前置きであった、本題に入ろう。

ヴィリエは17歳の頃、故郷のブルターニュ、レンヌの少女に初恋を経験する。だが悲劇的な結末を迎えたというのが、研究者共通の見解である。従兄ロベール・ドゥ・ポンタヴィス・ド・ウセーの伝記(Villiers de l'Isle Adam, 1893.)によれば、その恋は少女の突然の死によって遮られた。またルイ・ティエルスランの研究書(Bretons de lettres, 1905.)によれば、少女は修道院に入るためヴィリエのもとを去ったという。後者の説は推測の域を出ないのだが、彼の小品『至上の愛』を裏付けるものとして、支持を得ている。

ヴィリエの諸作品には2種類の人々が登場する。「理想の伴侶と偕に生きること」が叶った人と、叶わなかった人である。後者に挙げられるのが『反抗』のエリザベート、『トリビュラ・ボノメ』のクレエル・ルノワール、『サンチマンタリスム』のマクシミリアン、それに『未来のイヴ』のエワルド卿など。ヴィリエをして、これら心の裡に「流謫」を抱く人々を描破せしめたのは、彼自身の初恋への追憶、魂の奥底に生涯抱き続けた恋に対する哀惜であった。

 

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ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(2) 幼少の砌

ロッシーニは偉大だ。『セビリアの理髪師』を聴いている。単純明快、朗らかで心弾む旋律。ドイツ・ロマン派の後期作品ばかりを聴いて凝り固まった我が身に沁みわたる、陽の光。

 

さて本題。まさかの第2回である。
リラダン一家は、マティアス、父ジョゼフ・トゥーサン、母フランソワーズ、伯母ケリヌー、そして僅か2人の下僕とともに、サン・ブリューの荒廃した館に住んでいた。生計を支えていたのは伯母ケリヌーの財産である。

夫婦仲は良くなかった。そもそもこの結婚はフランソワーズに影響力を有する伯母の強い勧めによるもので、フランソワーズ自身は望んでいなかった。また彼女は夫の事業にも嫌気が差していたようで、1843年には夫婦別産請求を裁判所に申請している。ともかく養育に適した安定的家庭環境ではなかった。

マティアスの教育は散発的、非体系的なものであった。事業に勤しむ父が転居を繰り返したことが要因であるが、マティアス自身の不羈奔放な性格が災いして放校となったケースも多い。確認できる限りに於ても、1847年から1853年にかけて7校の中等学校(コレージュ)・高等学校(リセ)を転々としている。ただし家庭教師を時折雇っていたようだ。

マティアスは決して劣等生ではなかった。ラヴァルのリセでは羅語、希語、綴方、暗誦、宗教の学科で表彰を受けている。またレンヌのコレージュでは声楽とピアノの補講を受けている。音楽の才に恵まれていたようで、地元歌手の伴奏程度なら軽々とやってのけた。

聡明なマティアスであったが、学友はおらず常に孤独であった。「天才の孤独」。同窓生は彼を気分屋、妄想癖があり、横柄、懐疑的な人間、すなわち「嫌な奴」と記憶している。そうした彼のエピソードを2つ挙げよう。
・サン・ブリューの聖シャルル学院に学ぶ頃、同級生に文学的自惚れを揶揄されたマティアスは、その少年の目前で、即興の自作『せむしの歌(Les Chants du bossu)』を書いてみせた。
・13才の頃、ある少年が祖父を侮辱したというので、多感なマティアスは即座に決闘を申し込んだ。しかし約束の日、約束の場所に相手が来なかった為に決闘は実現しなかった。なおこの件に関して、父は息子を諫めるどころか激励したという。

真実味のあるエピソードだ。作家の「韜晦趣味」と「貴族の矜持」とを思わせる。これらは、マティアスが幼少期に於て、既にそのユマニテを確立していたことを示すものではないか。

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(1) 貴族の血統

シリーズ『ヴィリエ・ド・リラダンの生涯』を連載しようと思う。多分続かない。2月にある『タンホイザー』の公演に向けて、ボードレールワーグナー論も読まねばなるまいし。

 

ジャン・マリ・マティアス・フィリップ・オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン(Jean Marie Mathias Philippe Auguste de Villiers de l'Isle-Adam)伯爵は1838年11月7日、ブルターニュに住まうフランス屈指の名門に生誕した。

ヴィリエ・ド・リラダンの血統は10世紀にまで遡ることができる。その連綿たる家系には、ジャン・ド・ヴィリエ・ド・リラダン(1384-1437)、1418年にアルマニャック軍から、次いで1436年にイングランド軍からパリを奪還した名将や、フィリップ・オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン(1464-1534)、ロドス島に逼る邪教徒と戦ったマルタ騎士団の初代グランドマスターが名を連ねる。

しかし繰返される遺産分与の結果、17世紀頃、リラダン家は財政困窮に陥り、1768年に祖父のジャン・ジェローム・シャルル・ド・ヴィリエ・ド・リラダン侯爵が家督を継ぐ頃には、財産と呼べるものは殆ど残っていなかった。

1768年に侯爵位を継いだ祖父ジャン・ジェローム・シャルルは、ヴィリエ・ド・リラダンの血を忠実に受けていた。即ちエキセントリックな人柄であった。海軍士官を志しパリに遊学するが、学は実らぬまま帰郷。大革命が興ると隠遁者になる途を峻拒し、王党派の戦いに参加。革命の最中でPenanhoas(検索しても出て来ないがフランスの地名?)の領地と、サン・ドマングの荘園とを失う。復古王政の時代に、革命で失った財産への補償として27,867フランを下賜されたが、8人の子供を養うのには十分でなく、リラダン家の財政は不安定なままであった。なお彼は共和国政府とは勿論、復古王政ともそりが合わず、度々訴訟事件を起こしている。

父ジョゼフ・トゥーサン・シャルルは、聖職を志しパリのサン・スルピス神学院に学ぶ。ジャン・ジェローム叱咤の甲斐もあり、奨学金を得る程度の成績は残していたようだが、歴史が知るように、彼は神学の途を放棄して故郷ブルターニュで事業を始める。

事業!妄執に駆られた人間の「奇行」をそう呼んでいいのなら。ジョゼフ・トゥーサンの起ち上げた組織、"Agence Villiers de l'Isle-Adam"唯一の使命は、地下に埋蔵された黄金の弛みなき探究であった。貴族たちが革命の手を逃れるべく隠した銀や宝石、マルタ騎士団の財宝、これらがブルターニュの地下に眠っていると彼は確信していた。故に斯の土地を買い漁り、発掘調査をし、売払う。事業が齎すのは莫大な損失が常であって、この事業のために一家は幾度となく破産に瀕した。人々は彼をビジネスマンではなく「失われた中世の栄光の反映体(the last reflection of medieval glories)」と看做し、冷笑していたようである。

この稀世の奇人ジョゼフ・トゥーサンと、貧しきブルトンの旧家の娘、マリ・フランソワーズ・ル・ネヴ・ド・カーフォールとの間に生れたのが、一人息子オーギュストである。彼が受け継いだ父祖伝来の遺産に、形而下のものは何一つ無かったと云ってよい。

 

『銀河英雄伝説 新たなる戦いの序曲』1993 クラシック曲一覧

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劇場で観賞。
『わが征くは星の大海』がテレビアニメに先駆けて公開されたのに対し、『新たなる戦いの序曲』はOVA第2期終了後、即ちラインハルトがキルヒアイス、アンネローゼと離別し、ヤン・ウェンリーに敗れ、虚しさの中で戴冠する所までをアニメ化した後に制作された。云わば物語の絶巓で制作された、それだけに深みが違う。『わが征くは星の大海』の初々しさは魅力だが、やはりアニメ制作陣の真骨頂、集大成は本作だろう。ジャン=ロベール・ラップ、ジェシカ・エドワーズ、ヤン・ウェンリーの三角関係、それに劇場版特有の皇帝フリードリヒ4世の描かれ方が好きだ。

4Kリマスターで何が変わったか?アンネローゼが美人になっていた気がする。あと彼女は意外に胸があると、はじめて気が付いた。それ以外の作画レベルは落ちている。

背景音楽が至高だった。映画館でクラシックを聴く贅沢。
下記クラシック使用曲の一覧。ここまで網羅できる人間はそういないと自負する。
短時間で様々な作曲家の曲を聴くと、それぞれの特徴が際立って面白い。ワーグナーワーグナーだし、マーラーマーラー。そして何より、ベートーベンは偉大である。

 

ワーグナー: 「さまよえるオランダ人」序曲>オープニングクレジット
???>ジャン=ロベール、ジェシカ、ヤンの乾杯
レーガー: バレエ組曲第5番「愛のワルツ」>ジェシカ、ヤンの踊り
マーラー: 交響曲第5番第4楽章>ヤンのやけ酒
ワーグナー: 「タンホイザー」大行進曲>宮殿を駆ける馬車
???>アンネローゼとの再会
ショパン: 夜想曲第5番>アンネローゼとの茶会
モーツァルト: フルートと管弦楽のためのアンダンテ ハ長調
マーラー: 交響曲第2番第5楽章
???>退役を望むヤン
???>アンネローゼの不安
ショパン: 夜想曲第5番>ピアノを弾くメックリンガー
ベートーベン: ピアノ協奏曲第5番「皇帝」第1楽章>皇帝に謁見するラインハルト
ワーグナー: 「ローエングリン」第3幕への前奏曲>同盟軍出撃
ショパン: バラード第2番>星を眺めるラインハルト
ワーグナー: 交響曲 ハ長調第1楽章>ラインハルトの計略
ベートーベン: 交響曲第5番第2楽章>ジャン=ロベールとヤンを想うジェシ
マーラー: 交響曲第1番第4楽章>第4艦隊捕捉、撃破
ワーグナー: 「さまよえるオランダ人」序曲>第6艦隊捕捉
ベートーベン: ピアノソナタ第14番第1楽章「月光」>ジャン=ロベールの死
???>第2艦隊捕捉
シューマン: 交響曲第4番第3楽章スケルツォ>総司令官代理ヤン・ウェンリー
チャイコフスキー: 交響曲第6番第3楽章>紡錘陣形中央突破
シューマン: 交響曲第4番第4楽章>智将ヤン・ウェンリー
ベートーベン: 交響曲第5番第3楽章>ヤンとラインハルト
ベートーベン: 交響曲第7番第2楽章>それぞれの想い
ワーグナー: 「さまよえるオランダ人」序曲>クレジット

 

私はサロン音楽とか、ヴィエナの音楽に疎いのだなということが分かる。

 

 

リラダン『トリビュラ・ボノメ(Tribulat Bonhomet)』1887 再読


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再読。スウェーデンボルグの「信仰の思想を凌駕せるはなほ思想の本能を凌駕せるがごとし」という言葉が、本物語のすべてを表している。「学問」に裏付けられたセゼエルのヘーゲル流弁證法は、低俗な物質主義の権化であるボノメに対し猛威を逞しくするが、はたクレエルの「信仰」を前にしては無力。

 

本物語で愉しむべきはリラダンの韜晦趣味である。血に於ても精神に於ても比肩なき「貴族」たるリラダンが、近代精神の奥心、トリビュラ・ボノメの口を通して、ブールジョワの論理を喋々する。この逆説。リラダンの本質を弁えない読者は作者を見誤ること疑いない。だがリラダンを知る者にとっては、彼の披露するブールジョワの愚昧が、粗忽が、厚顔無恥が、實に痛快なのである

これ程に強烈な韜晦を弄しながら自らを決して見喪わなかったリラダン。彼が強靭な精神を持ち合わせていたことは明らかである。クレエルはボノメに斯く云い放つ。

(精神は、)あなたやあなたの御同類には、何の役にも立ちませんね!他の人々、「死」を物ともせず、「永遠の生命」への念願にみちてゐる人々にとつて、それは敗北を覺悟しつつ、「正義」のために華々しく戰ふことに役立つのです。

強靭な精神こそ、十字軍士ヴィリエ・ド・リラダン伯爵の拠り恃む所であった。

 

最期に、齋藤磯雄先生がリラダンの韜晦趣味について、分かり易く解説をしている箇所を引用する。

ironie socratiqueと呼ばれてゐる方法の無雙の達人であつた彼は、第一流の詩人や小説家に共通なあのメタモルフォオズの能力によつて、好んで己が仇敵の體内に入り込み、滔々懸河の辯を振つて、己が憎悪し侮蔑し唾棄する思想を喋々し、これらの陰惨な道化役者共が神聖なるもの美しきものを傷つけんとして矢鱈に振廻す逆説の匕首によつて、遂に己れ自身の首をちよん斬る、といふ複雑な藝當を讀者のお目にかける。この悪魔的な方法が惹き起す奇怪な、痙攣的な凄惨な笑ひの効果は、實に的確無謬であり、リラダンこそおそらく世界諷刺文學の最も峻嶮な峯を踏破したものと謂ひ得るであらう。

 

瞑目(めいもく) 目を閉じること、又は安らかに死ぬこと
自らを以て真に背かずとなす
奴輩(しゃつばら、どはい) 人々を卑しめていう語
倉皇(そうこう) あわてふためくさま
浩翰(こうかん) 広大なさま、また書物などの量が多いさま
多(さわ)
過褒(かほう) 実際以上に褒めること
自家撞着(じかどうちゃく) 言動や文章が前後で矛盾していること
左袒(さたん) 味方することや賛成することの喩え、史記からの故事成語
袖珍本(しゅうちんぼん) 小型な本。A6判以下
長広舌を振う(ちょうこうぜつ) 長々と得意げにしゃべりたてること