
晴。暑し。宵に驟雨あり。朝方まで齋藤磯雄の彫琢された美文に酔い痴れて晏起。朝食を逃す。郵便局に行き母へ絵葉書を送る。旧軽井沢中央通の俗悪なこと東京に勝る。群れているのが鄙者な分だけタチが悪い。アホ面の中国人、汗臭い植民地民族も多く、魔境の如くなり。だが軽井沢はもともと外国人のために拓かれた土地であった筈、エトランジェは私の方だと自分を慰める。
堀辰雄の愛した土地、追分に逃げる。しかし暑い、日差しを遮るアカマツの類もまばらで、高原に来た甲斐が無い。しかし追分には美味いラーメン屋と、店主の趣味か堀辰雄の効験か、西洋文学に強い古書肆がある。しかしラーメン屋は臨時休業日であった。昼食も逃す。
幸いにして古書肆は開いていた。直感的に渡辺一夫の『曲説フランス文学』を手に取る。渡辺一夫のことは「不寛容と寛容」の問題提起などを通じて、フランス文学に関心の無い人間でも知っているが、本来の彼は16世紀のユマニスト、フランソワ・ラブレーの研究者である。
時は16世紀フランソワ王の御代、フランスは主権国家として教会の権威に挑戦しつつあった。その政策の一つとして、王はヴィレール=コトレの勅令、即ちフランス語の国語化を実施した。それまで売春婦の泣き言しか綴らなかったフランス語が、ラテン語に代わり詩を、小説を綴るようになった。まさにフランス文学の創生。この時期に『ガルガンチュア』を『パンタグリュエル』を書いたのがフランソワ・ラブレーなのである。
いかに「曲説」と雖も、岩波のフランス文学案内を書いているのが渡辺一夫であるから、正統的かつ既読感は否めない。だが日が傾くまで追分に留まり、暫し彼のモンテーニュ的な高談に心を傾けた。彼の文章は齋藤磯雄と対照的、預言者の強さはないが、無神論者の矜持に溢れている。
夜、旅館近くのシャルキュトリ専門店で本日初めての食事。美味いが値段に見合っていない。隣席の老紳士も同じ感想を抱いたらしく、私に代わりの旗亭を推薦して呉れた。




