Epistula ad mē

美というものは、芸術と人間の霊魂の問題である

『地獄に堕ちた勇者ども(The damned)』1969

ルキノ・ヴィスコンティ監督作。

製鉄一族である男爵家。当主が殺害されequibiliumの崩れた一家の、醜い権力闘争を描く。デカダンな風俗描写がその醜さを際立たせるが、この至高の腐敗に、美を見出す人もいるのだろう。渋澤龍彦氏あたりは歓びそうだ。

私が思うにこの映画は、ヴィスコンティが、ヘルムート・バーガーにSSの軍服を着せたいが為に制作されたのだ。

 

艀(はしけ) 重い貨物を運ぶ平底の船舶
闡明(せんめい) はっきりとあらわすこと
勒する(ろくする) 統御する
曙光(しょこう) 夜明けに東の空にさしてくる太陽の光
瀟洒(しょうしゃ) 俗っぽくなく洒落ているさま
陋巷(ろうこう) 狭くむさくるしい町
縊死(いし)
秋霜烈日(しゅうそうれつじつ) 厳格な刑罰をたとえる
火箭(かせん) 火矢のこと
atone 償う
depravity 堕落
incinerator 焼却炉
vandalize 故意に破壊する
group photo 集合写真
gawk 頓馬
sophomore 2年生(米)
intestinal perforation 腸穿孔
reparation 賠償
loose end 未決事項
defile 汚す
open book 何の秘密も持たない人
秋闌ける(あきたける) 冬に移ろうとする時期
far-fetched 飛躍した論理
rapport 良い関係を築くこと(仏)




リラダン『脱走(L'Evasion)』1887

一幕からなる散文の劇。エピグラムはヨハネ福音書から「ラザロよ、出で来れ」。
ここに云うラザロは、ルカ傳第16章の貧しき者とは別人。ベタニヤのマリヤ、マルタの兄弟で、イエスの友人。ラザロは病に拠りて一度死ぬが、墓におかれて四日を経たころ、イエスが涙を流し「ラザロよ、出で来れ」と呼び給へるに、黄泉より立ち戻った。
こうした背景から当句は、キリストの贖いにより(広義的に)死んでいた人々が「生」に立ち返ること、すなわち「回心」のイメージとして、引用されることが多い。

話を戻そう。執筆は1871年頃、ヴィリエは遅筆を揶揄した友人達を愕かすために一晩でこれを書き上げたという。内容は、徒刑場から「脱走」した罪人が、純真な若き伉儷に感化されて、大人しくお縄を頂戴されるというベタなもので、さほど面白くない。

さて、私はこの『脱走』を以て、和譯のなされたヴィリエの小説、戯曲を読破したことになる。斎藤磯雄氏に翻譯されたヴィリエの美文は、何度読返しても良いものではあるが、寂寞の念を禁じ得ない。先に進むためには仏語を習得する他あるまいか。VA OULTRE<超えてその彼方に行け>。

 

 

『聖バンサン(Monsieur Vincent)』1947

本日は聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭の記念日。ミサには行けなかったが、1947年のフランス映画『聖バンサン』を観て、彼に思いを致すことにした。

モーリス・クロシュ監督作。クロード・ルノワール撮影。幾つか映画賞を受賞した古典的作品であり、1995年ヨハネ・パウロ二世教皇猊下のもとで認可された「バチカン映画リスト」にも名を連ねている。

聖ヴァンサンはガスコニーの豊かな農家(生家には6つのベッドルームがあったという)に生れる。親の意向もあり、「下層階級の立身出世の手段」として、教会でのキャリアを志したらしい。『赤と黒』のジュリアンを思い出すね。

学問を修めた後、史実としては怪しいが北アフリカに奴隷として売られる。フランスに戻ってからはヴァロワ家のチャプレン、ゴンディ家の家庭教師、聴罪司祭を務めながら、上流社会の人脈を広げた。

やがて彼は築いた人脈を活かして、貧しい者たちへの献身的奉仕をはじめる。今日まで存続するラザリスト会や愛徳修道女会を創立するなど、その生涯のすべてを以て貧しさに仕えた。

軽佻浮薄な現代社会に於ては、「チャリティー」と称しながら、その実際は偽善、道楽、虚栄的行為であることが往々である。しかし聖ヴァンサン・ド・ポールの生き方は私たちに伝える。「チャリティー」とは如何に忍耐を要する困難なものであるかを。

 

さて、私は特別この聖人、ヴァンサン・ド・ポールに親しみを覚え、崇敬している。
聖ヴァンサンは神の栄光を証しするに、弁舌に拠らず、行動でそれを為した。
また聖ヴァンサンが時にみせる峻厳さは、宮で笞搏つキリストのそれである。
つまるところ、彼は「男らしい」。そこが魅力なのだ。

20220923日記

眠れない為日記をのこす。
曇り、忌々しい夏も過ぎた。颱風が近いとのこと。主日ミサ行けるだろうか。

昼頃、注文していた略礼服が仕上がったというので、銀座まで取りに出掛ける。シングル、3つ釦1つ掛の所謂段返り。ウェストコートも同じくシングルで襟付き。完璧ではないが満足のゆく出来。

帰りに喫茶店へ寄った。客は私以外に3組。
1組目は細身の男と30近くの売笑婦。普段女がとっている客の悪口が聞こえる。
2組目は縮毛の男と小柄な女、偕に若い。
3組目は専門学生の小太りの女2人。高校時代の思い出語りをしているが、殆ど罵詈雑言。

さて、人生の教訓。

一、売笑婦を買うこと勿れ。
一、公の場で書物について語ること勿れ。
一、公の場で他人を罵ること勿れ。

20220925日記

晴れ。主日のミサに与る。貧しきラザロの説教。帰り際、列を成して教会から出てくる高級車に失笑。
昼、馴染みのレストランで食事。pate, poisson de jour et the apres le repas。繁盛しており何より。
その後スエードの黒靴を探しに百貨店へ赴く。松坂屋と大丸、めぼしい品は無かった。何故わざわざ遠出したのか、愚かな。私は上野界隈の空気が大変苦手、疲れ果てた。羊羹を買って帰宅。ルフナの紅茶と偕に頂いた。
来年の3月に東京都交響楽団マーラーの第2番を演奏する。11月に席の予約が始まる。その前に12月のドン・ジョバンニ、1月のタンホイザーのチケットを手配しなければ、、、。

 

20220928日記
晴れ。夜の散歩中、木犀の馥郁たる香が私の鼻孔をかすめた。愈々秋の訪れである。

 

20220929日記
曇り。『神々の黄昏』を聴く。あぁ、ワーグナーの楽劇を観にバイロイトへ行きたい。『パルジファル』を観たい。あのような至高の藝術が身近にある西洋の人々が羨ましい。而して私が住むのは汚濁の都府、天に迄届く低俗が支配する呪われた土地。但しアメリカや韓国、東南アジアに生れるよりは幸いであった。

ラモー「未開人(Les sauvages)」或いは「平和な森(Forêts paisibles)」『優雅なインドの国々(Les Indes galantes)』1736 より


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ラモー作曲、オペラ=バレ『優雅なインドの国々』から。第4幕第6場のロンド。
ルイ王朝時代の音楽。ラモーにリュリ、フランス王国が誇る二大作曲家と云えよう。

 

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【対譯】
Forêts paisibles,
平和な森よ、

Jamais un vain désir ne trouble ici nos coeurs.
ここでは虚しき欲望に心を乱されることがない。
S'ils sont sensibles,
人々に分別があるならば、
Fortune, ce n'est pas au prix de tes faveurs.
富など、彼らの好意に値するものではない。

Dans nos retraites, grandeur, ne viens jamais
偽りの栄誉よ、我らの隠れ家を訪れ、
o
ffrir tes faux attraits!
我らを誘惑すること勿れ。
Ciel, tu les as faites
天はこの森々を、
pour l'innocence et pour la paix
無垢と平和のため作り給うたのだから。

Jouissons dans nos asiles,
この地を愉しもう、

Jouissons des biens tranquilles!
穏かな日々を愉しもう。

Ah! peut-on être heureux,
あぁ、倖せになり得るだろうか、

Quand on forme d'autres voeux?
誰か異なる希望を抱く者が居れば。

 

コナン・ドイル『ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)』1891

シャーロック・ホームズシリーズの映像化作品は数多ある。しかし、ジェレミー・ブレットを起用した英国グラナダテレビジョン制作のドラマシリーズは特別である。これほど満足に為された映像化作品は他にない。描写される風景、人物の風貌、台詞の細部に至るまでが忠実であり、原作の品性を保ち得ている、殆ど唯一の作品であると云って可い。

ボヘミアの醜聞』は56ある短篇シリーズの第1号、ホームズ作品としては第3作目にあたる。"The woman"こと、イレーナ・アドラー(衒学な英国紳士を気取りたいのであれば、決してアイリーンと呼ばぬことだ)の登場作品として、大変有名。グラナダシリーズは、エピソード1として本作品を選んだ。原作の雰囲気を重んじるグラナダシリーズのdebutに相応しく、その再現度たるや、感嘆に値する。

しかし気になる点がある。それは本事件のクライアントたるフォン・クラーム伯爵、否!正しくはボヘミア国王ヴィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギースモーント・フォン・オルムシュタインの服飾描写である。

原作にはこう書かれている。

His dress was rich with a richness which would, in England, be looked upon as akin to bad taste. Heavy bands of Astrakhan were slashed across the sleeves and fronts of his double-breasted coat, while the deep blue cloak which was thrown over his shoulders was lined with flame-coloured silk and secured at the neck with a brooch which consisted of a single flaming beryl.

(彼の着物は奢侈であるが、英国では悪趣味と看做される類のものである。ダブルブレステッドの襟と袖には、アストラカン毛皮が飾られていた。肩から羽織る濃紺のマントは焔色のシルクで裏打ちされ、耀くエメラルドのブローチで首留めされていた。)

あとブーツの記述もあるが、まあそこはよい。さて、ドラマ版。

上衣にアストラカンの飾りは確認できるが、ダブルブレステッドではない。また画像では確認し難いが、マントは黒色。そして留め飾りはルビーと思わしき赤い宝玉。
思いの他、相違が目立つではないか。テイラーの本場たる英国なのだから、もう幾分拘りをみたかった。

 

 

ゴダール『カルメンという名の女(Prénom Carmen)』1983

ジャン=リュック・ゴダールが死んだ。まだ生きていたことに愕いた。あとヌーヴェルバーグで存命なのはクロード・ルルーシュくらい?

私は一時期フランス映画に凝っていた。だからゴダールの作品は少なからず観た。否、「フランス映画好き」を名乗る為に、観ざるを得なかった。

ゴダールの映画の特徴は、天に迄届く青臭さ。登場人物が悉くキ印、おつむと育ちの悪い永遠の大学生たち。ゴダールの映画には、私の唾棄する何者かが含まれていた。だから気にいらなかった。

しかしゴダールは美人を起用することに懸けてはフランス映画界随一。『女は女である』のアンナ・カリーナ(元ゴダール夫人)など、明眸皓歯、瑕瑾なしだ。彼女らに着せる服もイケている。この点は認める。

リラダン『新世界(Le Nouveau Monde)』1880

ヴィリエ・ド・リラダンによる五幕、散文の戯曲。
1875年アメリカ獨立記念を祝して催された脚本コンクールへの応募作品。賞金1萬フラン!応募作品約100篇の中から、ヴィリエの『新世界』が最優秀作として択ばれた。

「綱領」の存するコンクールに提出されただけあり、ヴィリエの他作品には見られない率直さが特徴。イタリアオペラのようにロマンティシズムに富んでいるが、それに往々にして見られる卑俗さは共有しない。ヴィリエの高貴な魂が紡ぐ深遠なる思想が、これほど凡庸の徒にも分かり易く翻譯されたことがあったか? ヴィリエ入門書として、もっと読まれて可いと、私は思う。

 

 

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まったく関係ないが、ドヴォルザークのスラブ舞曲集no.7

20220910日記

晴れ。

眠れないため、日記をつける。特筆事項もないのであるが徒然なるままに。
午餐をせず(近所のフランス料理屋がバカンス中であることが主たる原因)、ひねもす読書に耽った。ルカ傳福音と、リラダンの『奇談集』と『新世界』。

読書の間、紅茶を3回淹れ直した。私が使うティーポットは600mlの容量である。
1回目はルフナのルンビニ茶園のもの、2回目はキャンディのドンバガスタラワ茶園のもの、3回目はウバのトッタラガラ農園のもの、EmperorsTreasureなんて大層な名の茶葉。こうした覚えにくい地名は現地語(シンハラ語?)由来のものだろうか? ヒンディー語及びその周辺言語の音は大変苦手、蠅の羽音よりも聴き心地が悪い。

夜は出掛けた。トラウザーをオーダーした。グレー無地、尾錠付き、シングル。先日注文したダブルブレストのジャケットにあわせる積り。あと冬に向けて新調せねばならないのは、ダブルのチェスターフィールドコート、ブーツ、マフラー、手袋。

 

序でに過去の日記を読み返す。酷い文章だ。日記なんてものは、それを読返す執筆者に対し羞恥を感ぜしむるのが常であろうが。

リラダン『奇談集(Histoires insolites)』1888

作者の死の前年に刊行、ニ十篇を纏めた小品集。その前半はエドガー・アラン・ポーを彷彿とさせる奇譚が(そもそも本題からしてポーのHistoires extraordinairesに案を得たものとする考察もある)、後半はカトリックのモチーフ、例えば施し、戦闘的カトリック、肉の快楽の否定など、を主題とした小品が目立つ。

短い乍らも、見事に起承転結の設計された名作の数々。ヴィリエの巧みな話術を媒介とし、我々は靈しき世界へとむべなふ引き摺込まれる。そして劇的な終幕!身の毛のよだつ刺激が、読書に多大な満足を與う。

特に愉しんだ作品を下に挙げよう。

「ルドゥー氏の幻想(Les Phantasmes de M. Redoux)」...ポーにも劣らぬ「数学的阿片」。
「幸福の家(La Maison du Bonheur)」...彼處、ものみなは秩序と美、奢侈、静寂、はた快楽。
「現代の傳説(La Légende moderne)」...ワーグナーが主人公。
「ソレームの会見(Une Entrevue à Solesmes)」...笞搏つキリストをどう捉えるか、カトリックにとり重要な問題を扱う。
「泣き男(L'inquiéteur)」...読者を裏切る結末、お見事。

 

うたた ますます、いっそう
噯にも(おくびにも) まったく
晨(あした) 朝、夜明け
四角張る 堅苦しい態度をとる
酔生夢死 むなしく一生を過ごすこと
萎靡(いび) なえてしおれること
ウェスタの処女 古代ローマで女神ウェスタに仕えた巫女、純潔の象徴
汚行(おこう)
幽趣(ゆうしゅ) 奥ゆかしい風情
陋屋(ろうおく) 狭くて見すぼらしい家
キ印(きじるし) 気狂い
貴顯(きけん) 身分高く、名声のある紳士
ソレム フランスのコミューン、ベネディクタンの修道院で有名
彼誰時(かはたれどき) 明け方の意味で用いられる(↔誰彼時(たそがれどき))
往昔(おうせき、そのかみ) 過ぎ去った時
峨峨たる 山や岩石などが嶮しく聳え立っているさま