Mon Cœur Mis à Nu

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

20240129日記_道義、選択、後悔

www.youtube.com 記録しておかねばなるまい。 私は自らの選択を後悔する事が滅多にない。喩へその選択が不合理で、(現世的な)利益を損なふものであつたとしても、私はその不利益を勘定に入れた上で選択し、その不満足な結果に満足する。 しかし今日、私は選…

『アスペルジェスメ(Asperges me)』カトリック聖歌集501_羅和対訳

www.youtube.com 主日、神田教会でミサに與る。本日が七旬節なので暫くグロリアは聴けなくなる。 さて「アスペルジェス・メ(Asperges me)」とは、ミサ前の灌水式で歌はれる交唱である。今日の「新しいミサ」を執り行ふ教会で聴く事はないだらう。といふのは…

ド・メーストル『サン・ペテルスブルグの夜話(Les Soirées de Saint-Pétersbourg)』1821_戦争論に就ての覚書

人類進歩を信ずるのは怠け者の学説だ。進歩(真の進歩、即ち精神上の進歩)は、唯々、個人の中にしか、また個人自身によつてしか、あり得ない。(ボオドレエル『赤裸の心』九) さりながら、何といふ驚くべきことであらう、我々の理解から最も懸け離れてゐる秘義…

川上洋平『ジョゼフ・ド・メーストルの思想世界; 革命・戦争・主権に対するメタポリティークの実践の軌跡』2013

邪曲にして不義なる代は徴を求む (マタイ傳16:4) ボオドレエルへの思慕から、私はド・メーストルを勉強する事にした。本書は、国語で読める殆ど唯一のド・メーストル研究書であるといふ。だが目的から云へば、喩へ外国語であつても、文学史上の影響を論ずる…

20240123日記

此の頃の憂鬱を紛らはさむと、金曜はバガボンドで、土曜はНаднеで、そして日曜はどん底で飲んだ。だが効験はなかつた。酒に酔へたらどんなに良いだらうと思はぬでもないが、陶酔から覚める瞬間を味はふのはより怕しい。 この憂鬱は、私が感ずる惨めさに起因…

救い主を育てた母/アルマ・レデンプトリス・マーテル(Alma Redemptoris Mater)_羅和対訳

www.youtube.com アルマ・レデンプトリス・マーテルはカトリック教会の聖母賛歌。低劣卑陋なる日本の教会では忘れ去られてゐるが、フランスに於ては彌撒の終りによく歌はれてゐた。先唱の"ALMA"に、会衆の歌が続く。 おゝ巴里よ。斯の地のオルグの高揚が既に…

アラン・コルノー『めぐり逢う朝(Tous les matins du monde)』1991

藝術家は美に對する精妙な感性があればこそ藝術家なのだが、この感性には同時にまた、あらゆる醜あらゆる不均衡に對する精妙な感性が含まれてゐる。詩人は不正のないところに決して不正を見ないが、俗眼には何も見えぬところに屡ゝ不正を視る。詩人の過敏と…

パリ紀行(6)_ルーヴルにて 

昼下がりの公園にて、年端も行かぬ5歳位の少女が入口を通ろうとしていたから、私は戸を開けて彼女を通した。すると彼女はこちらを振り向いて、顔を斜に、口元に微笑を湛え乍らmerci, monsieurと、いとも優雅な挨拶を私に返して、軽やかな足取りで去って行っ…

パリ紀行(5)_ソレム修道院への巡礼

巴里に退屈を覚え始めた此頃、グレゴリオ聖歌復興の地、ヴィリエ・ド・リラダンも屡々訪れたというソレム修道院へ。生涯で一度は行かねばと思っていた。 朝まだきと云っても午前8時に近いが、写真の通りパリの日の出は遅い。モンパルナス駅からナント行きのT…

パリ紀行(4)_ヴィリエ・ド・リラダン伯の墓

巴里に来て十日が経つ。本日のミサ曲はキリアーレから第12番Pater Cuncta(万物の父)が歌われた。サンクトゥスの抑揚が美くしい。これが歌われるミサに与った事のある現代日本人は、恐らく私だけだろう。 私はメトロを降り、メニルモンタン通りからペール・ラ…

パリ紀行(3)_モンマルトルとモンパルナス

信心深い女というのは、何故斯くも美くしく私の眼に映るのか。日本でめっきり見ないからだろうか。もっとも我が国のご婦人方の金銭への信仰の篤さは見上げたものだが。サクレ・クール晩課の帰るさ、ペール・ラシェーズで母の手を引き、メトロを降りたうら若…