ヴィリエ・ド・リラダンは1861年3月『タンホイザー』のパリ初演を見て感嘆したと書き残している。また同年5月には、ボードレールの仲介によりリヒャルト・ワーグナー(当時50歳)の知己を得た。ヴィリエはワーグナーを深く畏敬し、又作曲家もこの若き天才を愛したという。
「回想」は1868年の秋、ヴィリエが30歳の年に、カチュール・マンデス(Catulle Mendès)・ジュディット・ゴーティエ(Judith Gautier)夫妻と偕に、ルツェルン・トリープシェンのワグナー邸を訪ねた際の追憶を記したものである。
この面会、ヴィリエが『反逆』を諳んじ披露してみせたという伝説の面会に於て、ヴィリエはワーグナーに一つの質問を投げた。即ち、ワーグナーがその作曲に於て神秘性を、あの高貴な印象を浸透させることに成功したのは、人工的になのかどうか。これはつまり、ワーグナー自身はキリスト教をどう眺めているのか、という疑問である。
ワーグナーは厳粛に答えた。
およそ眞の藝術家たる者は、おのれの信ずることだけしか歌はず、おのれの愛することだけしか語らず、おのれの思ふことだけしか書かないのです。
燃えるやうな、神聖な、正確な、不易の信念こそ、眞の藝術家を示す第一の標識です。
「知識」だけでは、その閃光たるや消え失せて光らない、「信仰」だけでは、明確な自己認識を缺く。それ故「眞の藝術家」、卽ち創造し、結合し、變形する人間には、「知識」と「信仰」といふ、この二つの分離すべからざる賜物が必要なのです。
私はどうかと申せば、何はさて措き先づ私はキリスト教徒であるといふこと、そして私の作品に於てあなたに感銘をお與へした抑揚は、原則として、唯そのことによつてのみ、靈感を與へられ創作されてゐるのだといふことを、知つて頂きたいのです。
「眞の藝術家」たるワーグナーの矜持。これはリラダンの共有する所ではなかったか。