Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

リラダン「回想(Souvenir)」『ルヴュー・ワグネリエンヌ(La Revue wagnérienne)』1887

ヴィリエ・ド・リラダン1861年3月『タンホイザー』のパリ初演を見て感嘆したと書き残している。また同年5月には、ボードレールの仲介によりリヒャルト・ワーグナー(当時50歳)の知己を得た。ヴィリエはワーグナーを深く畏敬し、又作曲家もこの若き天才を愛したという。

「回想」は1868年の秋、ヴィリエが30歳の年に、カチュール・マンデス(Catulle Mendès)・ジュディット・ゴーティエ(Judith Gautier)夫妻と偕に、ルツェルン・トリープシェンのワグナー邸を訪ねた際の追憶を記したものである。

この面会、ヴィリエが『反逆』を諳んじ披露してみせたという伝説の面会に於て、ヴィリエはワーグナーに一つの質問を投げた。即ち、ワーグナーがその作曲に於て神秘性を、あの高貴な印象を浸透させることに成功したのは、人工的になのかどうか。これはつまり、ワーグナー自身はキリスト教をどう眺めているのか、という疑問である。

ワーグナーは厳粛に答えた。

およそ眞の藝術家たる者は、おのれの信ずることだけしか歌はず、おのれの愛することだけしか語らず、おのれの思ふことだけしか書かないのです。

燃えるやうな、神聖な、正確な、不易の信念こそ、眞の藝術家を示す第一の標識です。

「知識」だけでは、その閃光たるや消え失せて光らない、「信仰」だけでは、明確な自己認識を缺く。それ故「眞の藝術家」、卽ち創造し、結合し、變形する人間には、「知識」と「信仰」といふ、この二つの分離すべからざる賜物が必要なのです。

私はどうかと申せば、何はさて措き先づ私はキリスト教徒であるといふこと、そして私の作品に於てあなたに感銘をお與へした抑揚は、原則として、唯そのことによつてのみ、靈感を與へられ創作されてゐるのだといふことを、知つて頂きたいのです。

 

「眞の藝術家」たるワーグナーの矜持。これはリラダンの共有する所ではなかったか。

 

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