Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

20240421日記

晴のち微雨。薄暑。神田教会でミサに與る。隣に坐つた聖イグナチオ教会の御婦人方と交流し、聖歌隊席の裏手にある玻璃窓、禁教時代の殉教者に捧げられたものを見学し、実行委員の方々とカフェを共にした。社交、しかも英語で。私に社交の天稟はない。平生孤…

『ヴィディ・アクアム(Vidi aquam)』カトリック聖歌集502番_羅和対訳

www.youtube.com Ego sum pastor bonus, et cognosco oves meas, et cognoscunt me meae.我は善き牧者にして、我がものを知り、我がものは我を知る(ヨハネ傳10:14、ここに云ふ牧者(羊飼ひ)はイエズス・キリストを指す) ヴィディ・アクアムは復活節(East…

20240420日記

晴れ、仏語学校の新学期始業。播磨坂の伊太利料理店で食事をして、小石川植物園を逍遥。躑躅が盛りを迎へてゐる。思へば昨年も同じ時期に同じ場所で躑躅を見たのだつた。この一年、私の生活はまるで変はつてゐない。私といふ人間も相変はらずである。それの…

クリストファー・ハンプトン『キャリントン(Carrington)』1995

クリストファー・ハンプトン監督作、Progressiveな映画。ブルームズベリー・グループの作家、リットン・ストレッチーとその恋人(かう呼んで差し支へないと信ずる)、エマ・トンプソン演ずるドーラ・キャリントン、並びに周辺人物との関係を描く。どうしたら彼…

ロジャー・ミッシェル『ノッティングヒルの恋人(Notting Hill)』1999

ロジャー・ミッシェル監督作。『モーリス』のヒュー・グラントが出演してゐる、当時39歳。かういふフィーリング・グッドな映画も偶には良い。斯様なものを積極的に取り入れた方が、人は素直なままで倖せになれるのだと、分かつてはゐるのだが。 ウィリアムと…

20240413日記_西洋美術館にて

乱文になるが、もう以前のやうに平日ゆつくりと書く事のできぬ故、忘却するよりは文章に残して置きたいと思つた次第。 此頃の私の顔には、拭へぬ生活の痕が顕らかである。又、立居振舞や言ひまわしから、余裕が消えたと思ふ。平生のやうに仏蘭西料理店でマダ…

アン・リー『いつか晴れた日に(Sense and Sensibility)』1995_ソネット116番英和対訳

アン・リー監督作。ジェイン・オースティン『分別と多感』(1811)の映像化作品。『ハワーズ・エンド』のエマ・トンプソン、ヒュー・グラントらが出演。英国式のコスチューム・ドラマの名作を観たければ、エマ・トンプソンの出演作品一覧にあたれば良いと思は…

20240401日記_復活祭或いは愛する人の死

主の御復活おめでたうございます。 先日、祖父が亡くなつて以来はじめて祖父の家を訪れた。殊勝な事に、今や祖母は一人でestateの管理をしてゐる。女は強い、祖母や母を見てゐるとさう思ふ。私の一族の男はみな感傷的でいけない。 かのやうなclichéを使ひた…

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ(Tristan und Isolde)』1865_愛と死に就いての覚書

www.youtube.com 新国立劇場の最上席での観劇。本歌劇の半音階的な重音進行や不協和音の構成は、後期ドイツロマン派を予感させる。内面的響きが特徴である。 前奏曲、「憧れの動機」に始まり、そこからとめどなく流れる美の奔流を受けて、私は忽ち夢うつつ。…

カトリック聖歌集105番『来ませ救ひ主』

Lentも第6週を迎へてゐるが、本日紹介するのはAdventに歌はれるホ短調の聖歌。ヨハン・マッテゾンはこの調に就いて沈思的、悲しみ、痛みと述べてゐるが、この聖歌には相応しい調である。 この聖歌に歌はれてゐるのは、人類の大いなる罪への悔恨と、キリスト…

長谷川潔とマニエール・ノワールに就いて

晴れ、身に堪ふる寒さ。各大学は卒業式を迎へてゐるやうで、昨日などは学習院門前で愛子内親王殿下を御見かけした。祖母に話してやらう、きつと悦ぶだらう。 扨て、眩しい若者達を余所目に、私は休暇を利用して群馬県立近代美術館を訪ふた。私はこの美術館を…

クリストフ・オノレ『Winter boy(Le Lycéen)』2022

クリストフ・オノレ監督作。新文芸坐で鑑賞。オノレは指揮者の大野和士氏と交遊があるやうで、彼の依頼により幾つかオペラ演出も手掛けてゐる。 During the play, I wondered to get up and walk away several times. 同性愛描写がきつい、宗教を悪し様に描…

20240317日記

晴れ、四旬節第5主日。目白聖公会の教会堂をお借りして、跪き、天使祝詞三環を捧げ奉る。本日彌撒に與つては居ないが、朗読箇所はヨハネ傳第12章だと思はれる。即ち、 一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし(ヨハ…

トリエント・ミサに於る告白の祈り(Confiteor)_羅和対訳(Latin to Japanese)

トリエント・ミサとは、トリエント公会議の後、1570年に聖ピオ五世が発布し、福者ヨハネ二十三世があらためて発布したローマ・ミサ典礼書に則つたミサの、便宜的な呼称である。 これに対し、第二バチカン公会議の精神に基づき、通例各地のvernacularで捧げら…

中村義洋『ゴールデンスランバー』2010_竹内結子に就ての覚書

『ゴールデンスランバー』といふ映画を見た。コメディ調で趣味では無いと思つたが、竹内結子が出演してゐるとの事で。竹内結子ファンの方の推薦。 私は小学生の頃から、好きな女優を問はれると必ず竹内結子と応へて来た。彼女の追つかけではない。出演作品も…

リヒャルト・シュトラウス『ヴァイオリンソナタ 変ホ長調 』1888

www.youtube.com リヒャルト・シュトラウスが遺した唯一のヴィオロンソナタ。3月になると思ひ出す。或る人が好んで弾いてゐたのだ。彼女はヴィオロン奏者であつた。彼女は深碧色のドレスでステージに立ち、いつも不機嫌さうに演奏するのだ。私の前でバッハを…

ブッツァーティ『タタール人の砂漠(Il deserto dei Tartari)』1940

私は満足するすべを知ったんだ。年ごとに望みを小さくしていくことを覚えたんだ。 雨、四旬節第二主日(2ème dimanche de carême)。神田教会でミサに与る。ミサ曲は第17番が歌はれた。今日の神父様のHomilyをどう形容しやうか一寸考へて、"Tender and meek li…

ヴェンダース『都会のアリス(Alice in den Städten)』1973

晴れ。銀座三越で買ひ物中、大学時代の友人2人から電話、新橋にゐるから飲まうと。休日の新橋は白けてゐるので、新宿に移動し、バガボンドでグラスを傾ける。いつもこの店だ、この店が無ければ私はどうなるのか。 新文芸坐でヴィム・ヴェンダース特集があつ…

20240214日記

Ash Wednesday, it means the first day of Lent. 巴里ではDeus Genitor alme<施しを齎す神>が歌はれたであらうか。尚ほ嘗て2月14日は聖ウァレンティヌスの記念日であつたのだが、第二バチカン公会議の際に削除された。 新聞に目を通す。政治資金問題が紙面…

堀辰雄『ルウベンスの偽画』1927

彼女の顔はクラシックの美しさを持っていた。(...)彼はいつもこっそりと彼女を「ルウベンスの偽画」と呼んでいた。 ルーベンス。国立西洋美術館にも何枚かは所蔵があつたと思ふ。ルーベンスの、陽光を帯びる鮮やかな色づかいは、確かに比類なく美くしい。だ…

バーリン「ジョゼフ・ド・メストルとファシズムの起源(Joseph de Maistre and the Origins of Fascism)」1990

五旬節。ほんのすさびに高等学校の卒業アルバムを開いて見る。吐き気。青春とはグロテスクなものである。 ユダヤ人思想史家アイザイア・バーリンによるジョゼフ・ド・メーストルの思想研究。著者は原典を豊富に引用し乍ら、それらに中立的解釈を施して、総合…

20240203日記

峻厳なる生活のよろこびをさとれ、而して祈れ、絶え間なく祈れ。祈禱は力の貯蔵所だ。意志の祭壇、精神の力学、秘蹟の魔法、霊魂の衛生。(ボオドレエル『火箭』) 昨日はマリア清めの祝日であつたから、今朝目黒教会へ行き、ロザリオ三環を捧げて来た。帰るさ…

20240129日記_道義、選択、後悔

www.youtube.com 記録しておかねばなるまい。 私は自らの選択を後悔する事が滅多にない。喩へその選択が不合理で、(現世的な)利益を損なふものであつたとしても、私はその不利益を勘定に入れた上で選択し、その不満足な結果に満足する。 しかし今日、私は選…

『アスペルジェスメ(Asperges me)』カトリック聖歌集501_羅和対訳

www.youtube.com 主日、神田教会でミサに與る。本日が七旬節なので暫くグロリアは聴けなくなる。 さて「アスペルジェス・メ(Asperges me)」とは、ミサ前の灌水式で歌はれる交唱である。今日の「新しいミサ」を執り行ふ教会で聴く事はないだらう。といふのは…

ド・メーストル『サン・ペテルスブルグの夜話(Les Soirées de Saint-Pétersbourg)』1821_戦争論に就ての覚書

人類進歩を信ずるのは怠け者の学説だ。進歩(真の進歩、即ち精神上の進歩)は、唯々、個人の中にしか、また個人自身によつてしか、あり得ない。(ボオドレエル『赤裸の心』九) さりながら、何といふ驚くべきことであらう、我々の理解から最も懸け離れてゐる秘義…

川上洋平『ジョゼフ・ド・メーストルの思想世界; 革命・戦争・主権に対するメタポリティークの実践の軌跡』2013

邪曲にして不義なる代は徴を求む (マタイ傳16:4) ボオドレエルへの思慕から、私はド・メーストルを勉強する事にした。本書は、国語で読める殆ど唯一のド・メーストル研究書であるといふ。だが目的から云へば、喩へ外国語であつても、文学史上の影響を論ずる…

20240123日記

此の頃の憂鬱を紛らはさむと、金曜はバガボンドで、土曜はНаднеで、そして日曜はどん底で飲んだ。だが効験はなかつた。酒に酔へたらどんなに良いだらうと思はぬでもないが、陶酔から覚める瞬間を味はふのはより怕しい。 この憂鬱は、私が感ずる惨めさに起因…

救い主を育てた母/アルマ・レデンプトリス・マーテル(Alma Redemptoris Mater)

www.youtube.com アルマ・レデンプトリス・マーテルはカトリック教会の聖母賛歌。低劣卑陋なる日本の教会では忘れ去られてゐるが、フランスに於ては彌撒の終りによく歌はれてゐた。先唱の"ALMA"に、会衆の歌が続く。 おゝ巴里よ。斯の地のオルグの高揚が既に…

アラン・コルノー『めぐり逢う朝(Tous les matins du monde)』1991

藝術家は美に對する精妙な感性があればこそ藝術家なのだが、この感性には同時にまた、あらゆる醜あらゆる不均衡に對する精妙な感性が含まれてゐる。詩人は不正のないところに決して不正を見ないが、俗眼には何も見えぬところに屡ゝ不正を視る。詩人の過敏と…

パリ紀行(6)_ルーヴルにて 

昼下がりの公園にて、年端も行かぬ5歳位の少女が入口を通ろうとしていたから、私は戸を開けて彼女を通した。すると彼女はこちらを振り向いて、顔を斜に、口元に微笑を湛え乍らmerci, monsieurと、いとも優雅な挨拶を私に返して、軽やかな足取りで去って行っ…