睡眠薬をもらう為医者に掛かる。薬さえ手に入ればよいのに、何故医者を介する必要があるのか。詮なき事だ。私の尊大な自尊心は、懊悩や孤独を喋喋と口にすることを決して肯じない。こうして文字におこすことはできるのだが。『ペンは弁より強し』。損な性分だと思ってる。
さて本題。今日読んだのはジェラール・ド・ネルヴァル(Gérard de Nerval)の『オーレリア』。
現実世界への夢の流出とでも呼びたいものがこのときからはじまった。
「実世界への夢の氾濫」。ヴィリエ・ド・リラダンにも同様の傾向はある。本作は『ヴァテック』のような幻想性を誇るが、ベックフォードが「意識的」に夢を描いたのに対し、ネルヴァルは彼自身の体験を、唯謙虚に叙述しただけだ。
或る幻視が、現実世界の事象と照合しているとしたら? 魂が生活と夢との間で不確実に漂う状態にあったネルヴァルは、この不確実性に慄きつつも、自身の体験した所を我々に伝えんと筆を取った。夢を描写の対象とし、意識の深層を探らんと試みる点、象徴主義のみならず、プルーストやシュルレアリスムに通ずる所がある。
なおネルヴァルは、第二部の発表を待たずして首を縊って死んだ。