2021-01-01から1年間の記事一覧
エリック・ロメール監督作。駄作。何故この監督は、不自然で愚にもつかぬ、青臭い議論を好むのだろう。大嫌いだ。
エリック・ロメール(Éric Rohmer)監督作。ジャン=ルイ・トランティニャン主演。
講談社学術文庫。著者は下京生れの、京大哲学科教授。市バスの206系統に沿うて、京都のあちらこちらを案内する。神社仏閣の由緒を云々する本ではなく、京都の在り方、人間社会の在り方についての主張だ。 懐古主義の嫌いがあるが、最後まで愉しく読めた。九…
疲れ果てた心。晴耕雨読の日々を夢見る。先週はミサをサボタージュした。神に祈りを捧げる気が起らなかった。 今読みたい本。メリメ『シャルル9世年代記』ゴーチエ『モーパン嬢』
近頃読んだヘッセの言葉は私の心を搏った。 「神がわれわれに絶望を送るのは、われわれを殺すためではなく、われわれの中に新しい生命を呼びさますためである。」 見習工をしながら学問を続け、自己を実現したヘッセの言葉。 この言葉を忘れたくはないものだ…
周囲の大人からの一方的な期待を背負い、機械的に応え続けてきた少年。最も感じやすい危険な少年時代を壓迫のうちに過ごした彼は、やがて心を壊す。彼は事故死した。しかしそれは偶然でなく、必然の死であったに違いない。 人間が長い生涯を生き抜くためには…
愛してはならぬ女を愛して、苦しむウェルテル。ロマン派時代の、人間の自我への目覚めを、この一青年の懊悩を通してみることができる。 不徳な描写もあるはあるが、牧歌的、道徳的な雰囲気。そう、健全なのだ。健全な若さ故、情熱を持つが故の苦悩。ウェルテ…
本作品は退廃的な哲学を完成させる為の書にあらず、むしろ倫理的な側面が強いように思われる。肖像画はドリアン・グレイの良心、物語の結末が示すのは、モラルの勝利に他ならない。そういう意味で本作は、『サロメ』ではなく、『幸せな王子』と同じ系譜にあ…
東山を北から南へ、法然院から南禅寺まで。雨であったのが却って良かった。静かな午前、散歩を心置きなく愉しめた。順正で昼餉。向いの席には日本髪をしたうら若き4人の娘。舞妓さんだろうか?その装いの趣味の良さ(安着物の観光客とは好個の対照!)と、立居…
晴れ、暖かい。六義園へ行く。何てことはない。こんなものを有難がる東京の人間は馬鹿だと思う。 怯懦(きょうだ) 臆病で気の弱いこと爾余(じよ) それ以外端倪(たんげい) 物事の成行を見通すこと「端倪すべからざる」=推し量れないほどの大童(おおわらわ) な…
生涯が美しくあるためには、その最期は悲惨でなければならない オスカーワイルド 牧神社上梓。ボウ・ブランメルの伝記。ちょっとした服飾史を兼ねている。ブランメルのパブリック・スクール時代から、その栄華の極みとカーン(Caen)での客死でを纏める。以下…
ロベール・ブレッソン(Robert Bresson)監督作。原作はジョルジュ・ベルナトスの同名小説。早稲田松竹で観賞。 フランス北部の小さな村に赴任した若い司祭。信仰が形骸化する時代。村人からは受け容れられず、信仰への確信も揺らぎ煩悶しつつも、彼は神と向き…
中央公論新社。底本は1975年に他社から上梓された評論。典雅の士ジョージ・ブランメルのアネクドートを持ち出して、ダンディズムを問う著者は、「ダンディズム」の不文律2ヶ條を導き出す。 一、立居振舞、衣服など、個人の外観を特徴づけるすべてのものに、…
アルフォンス・セシェ(Alphonse Séché) とジュル・ベルトゥ(Jules Bertaut)の共著に成る。近代の霊魂の癒し得ぬ悲痛を詠んだ詩人、ボードレールの伝記。原著の初版は1925年頃であり、その後の研究から訂正されるべき箇所も多く在るだろうが、ボードレールが…
ドッペルゲンガーを扱う話。さる良家の子息は、寄宿学校で自身と瓜二つの少年と出逢う。主人公が悪行に走る時、このドッペルゲンガーは決まって彼の前に表れて、彼を止めるのだ。 「奴は何者だ? どこから来るのだ? そしていったいなんの目的で?」
所謂「幻の書」。1866年に上梓されたと推定されるが、その稿本が発見されたのは1954年。1965年ジョゼ・コルティ社から刊行されたのは、実にヴィリエの死後76年目であった。初期作品らしく存分にロマンティックでありながらも、ヴィリエ作品の一貫した主題、…
友人と化野まで散歩する。天龍寺前の老松でお抹茶を戴く。現代短歌の話をしたり、フランス革命の話をしたり。このような酔狂に附合ってくれる人はそう居ない。
京都を散歩。南禅寺へ、奥丹で昼食をとる。 いつものように鹿ヶ谷通りを上る、途中光雲寺に寄り、哲学の道へ。法然院へ行く。この辺りの雰囲気がとても好きだ。静かで品があって。「神韻縹渺」とでも云えば可いのだろうか。私はこの土地を愛している。鄙賤の…
病的なポオの短篇小説。暗澹たる恐怖に襲われるアッシャー氏。友人の助けも虚しく、彼は恐怖の生贄となる。 ポオは数学的に残酷な文体を用いて、じわりじわりと、私の理性を恐怖で支配してしまう。ポオの作品を読むときに私たちが受ける、壓倒的な冷たい印象…
『彼岸世界の話』はヴィリエ最晩年の作を収めた短編小説集である。彼の死後4年目1893年に単行本として上梓された。 「崇高なる愛」1889世俗的な実際家エヴァリスト・ルソー・ラトゥーシュと、崇高なる魂の持主との間には、「愛」の認識について、非常な隔た…
米国人文学者による象徴主義についての文学評論。ヴィリエ・ド・リラダンの詩劇『アクセル』の主人公、アクセル・ドーエルスペール伯を、象徴派のあらゆるヒーローたちの典型であると看做し、書名に用いている。 ledilettante.hatenablog.com 象徴主義はロマ…
1865年1月14日、ヴィリエが27歳の時に上梓した作品。若きヴィリエの作品に、『未来のイヴ』や『アクセル』の充実感はあるのか?侮る莫れ。本作は崇高なる理想主義者であるヴィリエの本領が、存分に発揮された傑作。 不滅を探し求めていた男サムエルが、見目…
人もその繊弱い意志の甲斐なさによらぬかぎりは、天使にも将た死にも、屈従しおわるものではない 亡き妻リジイアを想う男。彼の意志が、喪われた恋人を幽世から呼戻す。リラダンが本作を参考に『ヴェラ』を書いた事は間違いない。両者の筋書きは殆ど同じだ。…
レミ・ド・グールモンが指摘するように、ヴィリエ作品は夢と諷刺の両者から成立っている。『新残酷物語』(1888)は『残酷物語』(1883)に続き、こうしたヴィリエの二面性を愉しめる短篇集。 『寄宿舎友達』諷刺。近代社会の道徳顚倒、拝金主義。『希望による拷…
木犀の馥郁たる香気。好きな季節の到来を告げる馨り。 ああもう散々だ。これ以上心の平安を乱されたくはない。京都に遁世をしたい。変わらぬものだけを見つめて静かな時を過ごしたい。それが叶わぬなら消えてしまいたい。Libera me domine de morte eterna.
斎藤磯雄氏譯、東京創元社。ヴィリエの理想主義的な夢と中世趣味が見事に結晶した詩劇。ヴィリエの死後に出版された。 ledilettante.hatenablog.com 青春から逃れ、シュヴァルツヴァルトの古城で現身と永劫世界の間に揺れる男。美姫サラがもたらした最後の誘…
この世の美くしいものは、もう宗教の世界にしか残っていない。だから私は執拗にカトリックを求めるのだ。 カトリックが美を抛棄したら、そのときは、
ジャン・ルノワール監督作。フランソワーズ・アルヌール(Françoise Arnoul)主演、美人だ。彼女は今年の夏に亡くなった。フレンチ・カンカンとムーラン・ルージュの誕生を描く華やかな(騒がしい)映画。「良い話」で終わらせない所がルノワール。それに最後の…
榊原晃三譯, 潮出版社, 1969年。大革命当時の「ヴァンデの反乱」(1793)を主題として、人間愛に基いた革命精神を謳いあげた大河小説、というより歴史の教科書。大革命当時の風俗やら、風潮やらを知るのには良い。物語終盤、人道主義に駆られたゴーヴァンの内…
www.youtube.com 無調性の音楽を創り出したアルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg)の作品。しかし本作はドイツの詩人リヒャルト・デーメルの詩に音楽を付けた「標題音楽」であって、後期ロマン派に属するもの。 さやけき月夜。雲はない。雄大な海、深…