Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

森鷗外『阿部一族』1913

今朝家を出るまへ、本棚からランダムに文庫本を引抜いた。それが『阿部一族』であつた。

鷗外の歴史小説。高等学校の生徒であつた砌、国語科の授業で、内藤長十郎元続が主人に殉死の許しを請ふ場面を読んだ。「死」に関心を示すおませな文学少年であつた私は当然心惹かれ、かへりの道すがら高島屋の書店に寄つて、新潮社の文庫版を買つたのであつた。

死を求める男達の姿、殉教をテーマとした作品。人はどう読むのだらう。大和男子の矜持に憧憬を抱くか、今と変はらぬ日本人の同調圧力に怖気を起すか、或いは両方か。『阿部一族』は鷗外作品の裡で著名だが、此れの読書感想文を書いてゐる人に出逢つた事はない。だが私思ふに、それは理に適つてゐる。何故なら、鷗外諸作品の思想について云々する事は、本質から外れる所業であるやうに思はれるからである。鷗外の真骨頂とは、史実を脚色して近代的ドラマにしてしまふ物語綴(ストーリーテラー)としての能力。古典教養を背景とする簡素で明晰且つ格調高き文体。以上2点であるから、ただ読み愉しめばそれで良いのだ。

 

人には誰が上にも好きな人、厭な人と云うものがある。そしてなぜ好きだか、厭だかと穿鑿して見ると、どうかすると捕捉する程の拠りどころが無い。