Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

villiers de l'isle-adam

20240401日記_復活祭或いは愛する人の死

主の御復活おめでたうございます。 先日、祖父が亡くなつて以来はじめて祖父の家を訪れた。殊勝な事に、今や祖母は一人でestateの管理をしてゐる。女は強い、祖母や母を見てゐるとさう思ふ。私の一族の男はみな感傷的でいけない。 かのやうなclichéを使ひた…

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ(Tristan und Isolde)』1865_愛と死に就いての覚書

www.youtube.com 新国立劇場の最上席での観劇。本歌劇の半音階的な重音進行や不協和音の構成は、後期ドイツロマン派を予感させる。内面的響きが特徴である。 前奏曲、「憧れの動機」に始まり、そこからとめどなく流れる美の奔流を受けて、私は忽ち夢うつつ。…

長谷川潔とマニエール・ノワールに就いて

晴れ、身に堪ふる寒さ。各大学は卒業式を迎へてゐるやうで、昨日などは学習院門前で愛子内親王殿下を御見かけした。祖母に話してやらう、きつと悦ぶだらう。 扨て、眩しい若者達を余所目に、私は休暇を利用して群馬県立近代美術館を訪ふた。私はこの美術館を…

パリ紀行(4)_ヴィリエ・ド・リラダン伯の墓

巴里に来て十日が経つ。本日のミサ曲はキリアーレから第12番Pater Cuncta(万物の父)が歌われた。サンクトゥスの抑揚が美くしい。これが歌われるミサに与った事のある現代日本人は、恐らく私だけだろう。 私はメトロを降り、メニルモンタン通りからペール・ラ…

パリ紀行(2)_左岸

ホテルでトマという名のブルトン人と相識り合ったので、試しにヴィリエ・ド・リラダンを知っているか尋ねてみたが、知らぬと云う。 左岸を歩く。サン・フランソワ・グザヴィエ教会。ヴィリエ・ド・リラダンの葬儀が執行われた教会。 サント・クロチルド聖堂…

リラダン『王妃イザボー(La Reine Ysabeau)』1880

この齢になつて甲斐もなく仏語学校に通つてゐる。齢二十五で斯う云ふと失笑を買はれるだらうが、若さの可能性を知るのは年を取つてからだし、抑々臆病な自尊心で身動きの取れぬ青年など、老人と大して変はる所がない。 話が逸れた。今日とて仏語の勉強のため…

20231011日記_ニヒリスムの悪

晴れ。歯科検診。オーダーしてゐたパンツが仕上がつた。深まる秋の永き夜、シューベルトのピアノ曲を聴いてゐる。 人間の本性は腐敗してゐる。この世に真の満足はなく、愉しみは虚栄に満ち、不幸は無限であり、さうした大層な人生の最期を飾るは死である。 …

ロンゴス『ダフニスとクロエー』A.D. 200-300

《......お金を! 少しお金を!》 ヴィリエ・ド・リラダンに、『ヴィルジニーとポール』と云ふ小品がある。サン・ピエールの『ポールとヴィルジニー』をさかしまにした名で、近代功利の腐敗が少年少女のあどけない牧歌にさへ浸透してゐる事を諷刺した作品。…

ミロス・フォアマン『アマデウス(Amadeus)』1984

特に、天才を排す—近代の標語 ヴィリエ・ド・リラダンに『二人の占師』という小篇がある。世に出たければ凡庸であれというマクシムを遺した皮肉な作品なのだが、『アマデウス』の鑑賞が、私にそれを思い出させた。畢竟天才の行き着く先はいつの時代も共同墓…

ワーグナー『トリスタンとイゾルデ(Tristan und Isolde)』高木卓訳

昧爽の光が窓帷の隙間から漏れている。朝まで一文にも成らぬ事に精を出して愚かな事だと思うが、これが私の生である。 先刻まで『トリスタンとイゾルデ』のリブレットを読んでいた。岩波上梓の高木卓譯。この三幕からなる楽劇の台本は、作曲者自らが「トリス…

『増補フランス文学案内』岩波書店 1989

近頃読書量が落ちている=心が荒んでいることを危惧した私は、アルベール・ティボーデの『フランス文学史』を購入した。読むべき本を見つける為である。ティボーデが届くまでの時間、私は予習として岩波の仏文入門書を再読する事にした。 岩波の入門書は、19…

20230513日記

雨。過し易い気温。 カルミーナの革靴を買ひ、手入れとトゥスチールの埋込みを依頼する間、上野の国立西洋美術館まで出掛けた。目的は「ブルターニュ展」。 国内のコレクションが殆どで、大した展示ではなかつたけれど、行かぬよりは行つて良かつた。数々の…

メーテルランク『モンナ・ヴァンナ(Monna Vanna)』1902

1925年新潮社より上梓された山内義雄の飜譯を読む。 『モンナ・ヴァンナ』。"Monna"は既婚女性に対する尊称"Madonna"の省略形、Vannaは女性名"Giovanna"の省略形、つまり「ジョヴァンナ夫人」の意である。名こそドン・ジョヴァンニに通ずる所があるが、本作…

メーテルランク『マレエヌ姫(La princesse Maleine)』1889

山内義雄譯、1925年新潮社上梓。メーテルランクの飜譯と云うのは、『青い鳥』と『ペレアスとメリザンド』以外、中々為されない。斯く云うこの『マレエヌ姫』も、管見の限りでは大正時代の山内譯が最も新らしい。山内は泰西戯曲の分野に多くの譯業を為した人…

メーテルランク『温室(Serres chaudes)』1889

10日間の休暇も残す所3日。この休みに私は何をしただろう? 幾度目かの禁煙を始めた、特筆すべきはそれ位。あとは平生と変わらない。だがそれでいい。連休に出掛けるべきではない。先日薔薇園に出掛けたが、薔薇の馥郁たる香が愚衆の臭気に覆われて、私は文字…

「反時代的精神の正当性; 齋藤磯雄とカトリシズム」『三田文學』84巻82号 2005

晴れ。長期休暇の初日。 駒場の前田侯爵邸の敷地内にある日本近代文学館に出掛ける。『ヴィリエ・ド・リラダン移入飜譯文獻書誌』の閲覧が目的である。CiNiiで検索したのであるが、公の図書館には一切所蔵がなかった。斯様に貴重な一册が、何故この文学館に…

リラダン『アクセル(Axël)』1890 再々読

幾度目かの再読。 人の世の否定。須臾の裡に楼閣は崩れ、肉は腐り、思想は消え失せる。だから「非創造・実在≪つくられずしてあるもの≫」の裡に遁れ去れ。本作に於る教役者は斯く唱える。だがサラとアクセルはこの理想を抛棄する。「黄金の夢」が、「青春」が…

リラダン「ソレームの會見(Une entrevue à Solesmes)」『ル・フィガロ(Le Figaro)』1883

J’ai combattu le bon combat. Saint Paul. 1883年3月7日に没したフランスのジャーナリスト、ルイ・ヴイヨ(Louis Veuillot)を悼む趣旨で、4月19日付のル・フィガロ誌上に発表された記事。その後『奇談集(Histoires insolites)』に短篇小説として所収。 短篇…

リラダン『ヴェラ(Véra)』1874

ダートル伯爵は鍾愛の妻ヴェラの死を全智にかけて否定し、全く妻の死を意識せざる境地に生活する。神秘的な夢に身を捧げる彼の強い意志は、夫人をして常世より立戻らせた。だが彼が妻の死を自覚した刹那、あなやすべての幻影は空中に紛れ、姿を隠してしまっ…

リラダン「回想(Souvenir)」『ルヴュー・ワグネリエンヌ(La Revue wagnérienne)』1887

ヴィリエ・ド・リラダンは1861年3月『タンホイザー』のパリ初演を見て感嘆したと書き残している。また同年5月には、ボードレールの仲介によりリヒャルト・ワーグナー(当時50歳)の知己を得た。ヴィリエはワーグナーを深く畏敬し、又作曲家もこの若き天才を愛…

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(4) パリへ;『處女詩集』

1855年家族に伴われパリに出京する機会を得たヴィリエは、Café de l'Ambiguでルメルシエ・ド・ヌヴィルら文学青年との交流を始める。劇作家として身を立てるべく運動をしたようだが叶わなかった。翌年失意の裡に帰郷する。 ヴィリエは憂鬱にサン・ブリューで…

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(3) 初戀

新宿のカフェで、年端のゆかぬ、それこそ十五にも満たぬ少女らが、楽しそうに援助交際の話をしているのを偶然耳にして以来、心緒が絲の如く乱れている。現代社会の陥っている頽廃の異常な深さに、私は絶望しそうだ。 ベネディクト16世は回勅でこう述べられた…

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(2) 幼少

ロッシーニは偉大だ。『セビリアの理髪師』を聴いている。単純明快、朗らかで心弾む旋律。ドイツ・ロマン派の後期作品ばかりを聴いて凝り固まった我が身に沁みわたる、陽の光。 さて本題。まさかの第2回である。リラダン一家は、マティアス、父ジョゼフ・ト…

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(1) 血統

シリーズ『ヴィリエ・ド・リラダンの生涯』を連載しようと思う。多分続かない。2月にある『タンホイザー』の公演に向けて、ボードレールのワーグナー論も読まねばなるまいし。 ジャン・マリ・マティアス・フィリップ・オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラ…

リラダン『トリビュラ・ボノメ(Tribulat Bonhomet)』1887 再読

ledilettante.hatenablog.com 再読。スウェーデンボルグの「信仰の思想を凌駕せるはなほ思想の本能を凌駕せるがごとし」という言葉が、本物語のすべてを表している。「学問」に裏付けられたセゼエルのヘーゲル流弁證法は、低俗な物質主義の権化であるボノメ…

渡邊一夫『ヴィリエ・ド・リラダン覺書』1940

弘文堂書房上梓。渡邊氏の研究は齋藤磯雄氏が全面的に引継いでおられるから、この本の内容に新しい事は無かったが、以下の渡邊氏の言葉にはと胸を突かれた。 僕はやゝもすれば、リラダンの「人間」としての美しさにほれぼれとして、「作品」自身の持つてゐる…

市村崑『こころ』1955

市村崑監督作。夏目漱石の『こゝろ』が原作、森雅之が先生、安井昌二が私、新珠三千代がお嬢さん。やけに芝居臭い演出と思ったが批評家の受けは良かったそう。確かに、先生の遺書の場面になってからは面白かった。だが襖を開けるシーンは絶対に2度必要であっ…

ドビュッシー「相思の人の死(La mort des amants)」『ボオドレエルの五つの詩(5 Poèmes de Charles Baudelaire)』1889

www.youtube.com ボオドレエル、『惡の華』の第121篇「相思の人の死」という4.4.3.4の十四行詩<ソネット>に、ドビュッシーが曲を付けた。詩は、相思の2人の愛と死、そして復活という主題。詩譯は齋藤磯雄氏のものを参照した。 Nous aurons des lits pleins d…

リラダン『アケディッセリル女王(Akëdysséril)』1885、再読

ヴィリエによる中篇小説。初出は1885年La Revue contemporaine誌上。『アクセル』や『トレードの戀人』と同様の主題を持つ。すなわち「或る魂が至高の完成に到達し、もはや下降以外にあり得ない」場合、至福の絶巓に於て自ら命を絶つことは美徳足り得るので…

『リラダン=マラルメ往復書翰集』白鳥友彦譯 1975

森開社上梓。ヴィリエ・ド・リラダン伯爵とステファヌ・マラルメの間に交わされた書翰集。互いの存在が、彼岸世界の詩人らをして、しばし現世にとどまる理由にすら成り得た友情。手紙は歯抜けで、内容に満足はしていないが、それでも示唆に富むものであった…