Mon Cœur Mis à Nu

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

lexicon

『天の元后喜び給へ/レジーナ・チェリ(Regina coeli)』羅和対訳

www.youtube.com 微雨のち晴。知らぬ間に立夏過ぎ、ぢきにペンテコステ、即ち復活節が了はりに近い。IMEの変換予測が日毎に痴呆になつてゐるやうに思ふ此頃。これは一般ユーザが綴字法を忘却してゐる事を意味するのだらう、運助文法馬丁文字。シベリウスのヴ…

ブッツァーティ『タタール人の砂漠(Il deserto dei Tartari)』1940

私は満足するすべを知ったんだ。年ごとに望みを小さくしていくことを覚えたんだ。 雨、四旬節第二主日(2ème dimanche de carême)。神田教会でミサに与る。ミサ曲は第17番が歌はれた。今日の神父様のHomilyをどう形容しやうか一寸考へて、"Tender and meek li…

救い主を育てた母/アルマ・レデンプトリス・マーテル(Alma Redemptoris Mater)_羅和対訳

www.youtube.com アルマ・レデンプトリス・マーテルはカトリック教会の聖母賛歌。低劣卑陋なる日本の教会では忘れ去られてゐるが、フランスに於ては彌撒の終りによく歌はれてゐた。先唱の"ALMA"に、会衆の歌が続く。 おゝ巴里よ。斯の地のオルグの高揚が既に…

20231204日記_葬送 

扶けては斷橋の水を過ぎ、 伴つては無月の村に歸る 『無門関』第四十四則 祖父の葬儀を了へた。私個人はバタ臭い加特力主義者であるが、本家は臨済宗妙心寺派の檀家で在るから、その様式に則り式を執行つた。私も今日ばかりはロザリオでなく数珠を持つて、使…

20231125日記

晴れ。秋闌けて折ふしの移らふも間近。 仏語学校へ行き、授業了りに友人とカフェでボオドレエルの『惡の華』に就きて卑陋なる識見を喋々した後、小石川の植物園を散歩する。メタセコイア、ラクウショウ、ナンキンハゼ、サザンカ、篠懸に椎。 粋で高踏で人柄 …

ボードレール『火箭(Fusées)』『赤裸の心(Mon Coeur Mis à Nu)』遺作

ボオドレエルの観察や所感、箴言の覚書き。『惡の華』を上梓した頃から、詩人が失語症になる直前迄に書かれた。母に宛てた書簡を見ると、ルソーの『告白録』に倣ひ、出版を意図して書留めてゐた事が分る。 世間が崇拝してゐるものに対して、僕が自分をさなが…

ティボーデ『フランス文学史(Histoire de la littérature française - de 1789 à nos jours)』1936_ボードレール論

「『惡の華』の歴史。誤解によつて受けた屈辱、訴訟」(ボオドレエル『赤裸の心』) 「私の蒙つた屈辱は神の恩寵であつた」(ボオドレエル『火箭』) 「罪の増すところには恩惠も彌増せり」聖パウロ アルベール・ティボーデは史学と哲学を修めた後に、文芸批評の…

ミロス・フォアマン『アマデウス(Amadeus)』1984

特に、天才を排す—近代の標語 ヴィリエ・ド・リラダンに『二人の占師』という小篇がある。世に出たければ凡庸であれというマクシムを遺した皮肉な作品なのだが、『アマデウス』の鑑賞が、私にそれを思い出させた。畢竟天才の行き着く先はいつの時代も共同墓…

ポオ『大鴉(The Raven)』1845

エドガー・アラン・ポオの代表作『大鴉』。哀感と音楽とに満ちた物語詩。日夏耿之介氏の飜譯、ギュスターヴ・ドレの挿絵が付いた豪華本を読んだ。 或る厳冬の夜半、亡き恋人を想い悲観に暮れる男の部屋に、黒檀色の大鴉が飛び込んでくる。男はすさびに鴉に名…

メーテルランク『マレエヌ姫(La princesse Maleine)』1889

山内義雄譯、1925年新潮社上梓。メーテルランクの飜譯と云うのは、『青い鳥』と『ペレアスとメリザンド』以外、中々為されない。斯く云うこの『マレエヌ姫』も、管見の限りでは大正時代の山内譯が最も新らしい。山内は泰西戯曲の分野に多くの譯業を為した人…

ラプノー『シラノ・ド・ベルジュラック(Cyrano de Bergerac)』1990

ジャン=ポール・ラプノー監督作。ラプノーは寡作だが、ルイ・マル作品の助監督や脚本を務めており、その実力は折り紙付き。本作は1991年のセザール賞を獲得。シラノをジェラール・ドパルデュー、ロクサーヌをアンヌ・プロシェが演じる。コメディ・フランセー…

リラダン『アクセル(Axël)』1890 再々読

幾度目かの再読。 人の世の否定。須臾の裡に楼閣は崩れ、肉は腐り、思想は消え失せる。だから「非創造・実在≪つくられずしてあるもの≫」の裡に遁れ去れ。本作に於る教役者は斯く唱える。だがサラとアクセルはこの理想を抛棄する。「黄金の夢」が、「青春」が…

20230416日記

主日ミサをサボタージュし、午前を微睡みの裡に過ごす。ランチを逃す。 映画を観に行くか、植物園に行くか迷ったが、天気が良さそうだったので後者を選擇する。躑躅が見頃を迎えている筈だ。 茗荷谷驛で降りると、あなや篠突く雨。こんな事なら映画に行けば…

ジョフィ『ミッション(The Mission)』1986

ローランド・ジョフィ監督。1986年のパルム・ドール。史実に基づいて18世紀南米に於けるイエズス会のミッションを描く。ロバート・デニーロ、ジェレミー・アイアンズが出演。 イエズス会の宣教師と先住民グアラニー族との交わりが、スペイン帝国、ポルトガル…

20230323日記

雨。プーランクの『カルメル会修道女の対話』と云うオペラを観てみたい。真砂中央図書館にCDはあるらしい。次の主日、御ミサの後にでも訪ねてみる事にする。 桜を観に京都へ行く。近所の神田川沿いの桜が見頃を迎えていたものだから、急いで京に飛んだのだが…

フランクル『夜と霧(Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager)』1946

死に至る病とは絶望のことである キェルケゴール 著者ヴィクトール・フランクルは、ホロコーストを生き延びたオーストリアの心理学者。本書は、強制収容所に於いて限界状況にある人間の姿を、心理学的に記録したものである。人間はいと高き處に近付けるとい…

リラダン『トリビュラ・ボノメ(Tribulat Bonhomet)』1887 再読

ledilettante.hatenablog.com 再読。スウェーデンボルグの「信仰の思想を凌駕せるはなほ思想の本能を凌駕せるがごとし」という言葉が、本物語のすべてを表している。「学問」に裏付けられたセゼエルのヘーゲル流弁證法は、低俗な物質主義の権化であるボノメ…

グレゴリオ聖歌_キリアーレ(Kyriale)について

www.youtube.com キリアーレ(Kyriale)とはグレゴリオ聖歌のミサ通常式文集のこと。18組のミサ曲が所収されており、例えば有名な天使ミサ(De Angelis)は8番、クム・ユビロ(Cum jubilo)は9番、オルビス・ファクトール(Orbis factor)は11番である。各々どの祝日…

モーリアック『偽善の女(La Pharisienne)』1941

神は愛なり 一ヨハ4:16 La Pharisienneはパリサイ女の意。この話で問題となる女は、新約聖書に於るパリサイ人が如く律法に忠実で、罪を冒した人間を咎め、"教化"しようとする。「法律の文字の方を精神よりも守ろう」とする。 その結果多くの人間に反感を抱か…

20221206日記

仕事から帰る。雨でしとどに濡れたスーツにスカーフそして靴の手入れを終え、私はベッドに倒れ込む。ふとスマホを手に取ると、珍しい友人からの通知が一件(そもそも通知自体が珍しいのである)。結婚するという短い報告。どうでもいいと思いながら、月並みの…

ベルトラン『夜のガスパール(Gaspard de la nuit)』1842

この稿本には、諧調と色彩のおそらくは新しい技法が數かずおさめてあるのです。 アロイジウス・ベルトラン(Aloysius Bertrand)による詩集。「散文詩」とはすなわち、無韻無脚でありながら詩的律動を感じさせる文章のことを言うが、ベルトランは『夜のガスパ…

リラダン『アケディッセリル女王(Akëdysséril)』1885、再読

ヴィリエによる中篇小説。初出は1885年La Revue contemporaine誌上。『アクセル』や『トレードの戀人』と同様の主題を持つ。すなわち「或る魂が至高の完成に到達し、もはや下降以外にあり得ない」場合、至福の絶巓に於て自ら命を絶つことは美徳足り得るので…

『リラダン=マラルメ往復書翰集』白鳥友彦譯 1975

森開社上梓。ヴィリエ・ド・リラダン伯爵とステファヌ・マラルメの間に交わされた書翰集。互いの存在が、彼岸世界の詩人らをして、しばし現世にとどまる理由にすら成り得た友情。手紙は歯抜けで、内容に満足はしていないが、それでも示唆に富むものであった…

20221013日記

つまらぬ、精神を消耗する、だが私に糊口を許す有難い仕事を終えて帰宅。郵便受けに神からの祝福。 かねてより垂涎していた書物、『リラダン=マラルメ往復書翰集』森開社, 1975が届いた。森開社というのは仏文学を専門とし奢侈な装幀で有名な道楽の出版社で…

ヴィスコンティ『地獄に堕ちた勇者ども(The damned)』1969

ルキノ・ヴィスコンティ監督作。 製鉄一族である男爵家。当主が殺害されequibiliumの崩れた一家の、醜い権力闘争を描く。デカダンな風俗描写がその醜さを際立たせるが、この至高の腐敗に、美を見出す人もいるのだろう。渋澤龍彦氏あたりは歓びそうだ。 私が…

リラダン『奇談集(Histoires insolites)』1888

作者の死の前年に刊行、ニ十篇を纏めた小品集。その前半はエドガー・アラン・ポーを彷彿とさせる奇譚が(そもそも本題からしてポーのHistoires extraordinairesに案を得たものとする考察もある)、後半はカトリックのモチーフ、例えば施し、戦闘的カトリック、…

ドビュッシー『フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(Sonate pour flûte, alto et harpe)』1915

www.youtube.com ドビュッシーによる三楽章から成るソナタ。フルート、ヴィオラそしてハープの三者の組合せは他では知らぬ。特に第二楽章、ヴィオラが良い味を出している。この曲は彼の死の3年前に書かれた。病に臥す日々の中で作曲されたからだろうか。その…

モーリアック『イエスの生涯(Vie de Jésus)』1936

www.youtube.com フランソワ・モーリアック(François Mauriac)が遺したイエス伝。共観福音書(特にルカ伝福音書)と第四福音書とを豊富に引用し、彼の解釈を加えて、イエスの生涯が語られる。解釈と云えば、殊にイスカリオテのユダの心理に関する記述が独創的…

リラダン『アクセル(Axël)』1890 再読

余暇を利用してヴィリエ・ド・リラダンの『アクセル』を再読。ヴィリエの精神的な遺書とも呼べる本作品は、至高の理想主義に彩られ、至純の美に耀く。 ledilettante.hatenablog.com さる公爵家の最後の娘サラ・ド・モーペールは、年古る尼僧院にて、修道の誓…

チャールズ・スターリッジ『天使も許さぬ恋ゆえに(Where angels fear to tread)』1991

フォースターの小説『天使も踏むも恐れるところ(Where angels fear to tread)』を原案とする映画。チャールズ・スターリッジ(Charles Sturridge)監督作。他のフォースターの小説同様、異なる人間が互いを理解する可能性と困難とを描いているが、本作にみられ…