Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

20230624日記

曇り、花屋の軒先に青のデルフィニウムが並んでゐる。 久しぶりに近所のフランス料理屋に伺ふとマダムの装ひが夏仕様に変はつてゐた。エキゾチックな花を刺繍した柄物のフレアスカート。 3人の友人と会つて話す。紅一点が2軒目で「二丁目行きたい、絶対行き…

堀辰雄『聖家族』1932

堀辰雄の心理小説。別で『美しい村』も読んでゐたのだが、そつちは途中で飽きてしまつた。本作は「ラディゲのやう」と評されてゐるがどうだらう。この小説に限らず、堀辰雄の作品は理知でなく、寧ろ感覚に特徴付けられると思ふ。印象派の絵画のやうに。 私と…

三島由紀夫『仮面の告白』1949

祖父危篤の報を受けて暫し実家に身を寄せてゐる。手持無沙汰で子供部屋の本棚を眺める。英語の参考書が大半、ギリシア神話集にドイツ詩集(読んだ覚えはない)、漱石全集、岩波と新潮の文庫判が数十冊。 『仮面の告白』が目に留まつた。本棚にある他の三島作品…

20230617日記

音楽も書物も魂の鎮痛剤のやうなものだが、薬と同じで耐性ができるらしく、今では極限られた範囲のものしか私に効能を示さない。それも極めて短い時間しか効かないし、作用の切れた際生ずるあの切なさ、あの故知らぬ苦しみは、余りに厄介な副作用である。

20230616日記

意識の無い祖父と面会する。管を繋がれた祖父の手は冷たく、斯やうな状態で生を強ひられる祖父を不憫に思ひ乍ら、私は別れの挨拶を済まし、アヴェマリアを心で唱へた。めでたしマリア、我等が死を迎ふる時も祈り給へ。

森鷗外『堺事件』1914

鷗外の歴史小説。鷗外は死の描写をロマネスクに書く事が無い。 短刀を取って左に突き立て、少し右へ引き掛けて、浅過ぎると思ったらしく、更に深く突き立てて、緩やかに右に引いた。 斯うした具合である。まるで料理の手順書のやう。失礼な喩えかな。 ランキ…

20230613日記

曇り。入梅して以降、厭な天気が続いてゐる。広い庭のある家に住んでゐた頃は雨も嫌ひではなかつたが、陋巷の湿気は身に堪へる。本も傷む。 祖父は集中治療室に入つてゐるらしい。心肺停止の状態で見つかり、駆けつけた医者に助けられたが、意識は戻らず、脳…

20230612日記

雨、祖父危篤の報を受ける。

20230610夢日記

所在無げな私の前に彼女は現はれた。いはけない天使の笑みを湛へて。彼女は、誕生日には何が嬉しいかと私に訊ねた。君の作るものであれば何でも喜んでと答へると、彼女は笑つた。 腕を貸す仕草をすると彼女はそれに応へた。私たちは並木路を偕に歩いた。久方…

森鷗外『阿部一族』1913

今朝家を出るまへ、本棚からランダムに文庫本を引抜いた。それが『阿部一族』であつた。 鷗外の歴史小説。高等学校の生徒であつた砌、国語科の授業で、内藤長十郎元続が主人に殉死の許しを請ふ場面を読んだ。「死」に関心を示すおませな文学少年であつた私は…