Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

20221030日記_Meine Ruh ist hin

落ち着きは消え去りて 我が胸のいとおもし 『ファウスト』 御ミサに調和が見出せず、悲しくて、思わず途中でふけてしまった。十字架の影が射した我が心、カトリック以外の何者にも為りはすまいてふ気持に変わりはないが、イエス様は我が信仰薄きをお咎めにな…

中島敦『斗南先生』1942

中島敦による短篇小説、私信と云っても可い。奇言奇行に富む漢学者であった伯父に対する作者のアンビバレントな想いを分析する、心理小説の趣がある。 決して彼が不遇なのでも何でもない。その自己の才能に対する無反省な過信はほとんど滑稽に近い。時に、そ…

中島敦『山月記』1942 感想文

醜悪な現実から目を背けるため書物を読むことが、良い習慣な譯がない。深く夢想に涵れども、一歩書斎を出れば、それは一撃のもとに瓦解する。失望を重ねるうち、人の性は彌々狷介となる。私もそうだ。だがそんな私が自尊心を弑して真っ当に社会生活を営む、…

萩原朔太郎「馬車の中で」詩集『青猫』1923より

仕事で連日伊太利からの客人を饗している。ビジネスライクな英語を聞き、又話していると、美くしい日本語が恋しくなる。酒の酔いが冷めぬままに執筆。 先日丸ビルのサロンにて、松岡多恵女史が歌う、萩原朔太郎の詩による歌曲を聴いて以来、ゆくりなく萩原朔…

20221023日記_「新しいミサ」について

晴れ。主日ミサののち教会の掃除。ビストロで食事を済ませ、秋闌ける小石川植物園を訪れる。篠懸樹の葉隠に憩いて、微睡みながらブラームスのピアノ協奏曲第2番を聴く。私の通った小学校に篠懸の森があったことを想い出し、郷愁に似た感情を抱く。暫し陶酔。…

20221022日記_びいどろつくりとなりてまし

晴れ、小春日和。昼餉はいつものフランス料理屋で、イナダのマリナードとポークのカシス煮込みを注文。向かいの席に容色麗しき人あり。嘗て恋した人に似つ。夜は誘いを承け、丸ビルのサロンで催された音楽会に出席。 萩原朔太郎の詩に三善晃が曲をつけた『抒…

リラダン『アケディッセリル女王(Akëdysséril)』1885、再読

ヴィリエによる中篇小説。初出は1885年La Revue contemporaine誌上。『アクセル』や『トレードの戀人』と同様の主題を持つ。すなわち「或る魂が至高の完成に到達し、もはや下降以外にあり得ない」場合、至福の絶巓に於て自ら命を絶つことは美徳足り得るので…

『リラダン=マラルメ往復書翰集』白鳥友彦譯 1975

森開社上梓。ヴィリエ・ド・リラダン伯爵とステファヌ・マラルメの間に交わされた書翰集。互いの存在が、彼岸世界の詩人らをして、しばし現世にとどまる理由にすら成り得た友情。手紙は歯抜けで、内容に満足はしていないが、それでも示唆に富むものであった…

20221013日記

つまらぬ、精神を消耗する、だが私に糊口を許す有難い仕事を終えて帰宅。郵便受けに神からの祝福。 かねてより垂涎していた書物、『リラダン=マラルメ往復書翰集』森開社, 1975が届いた。森開社というのは仏文学を専門とし奢侈な装幀で有名な道楽の出版社で…

アイヴォリー『上海の伯爵夫人(The White Countess)』2005

ジェームズ・アイヴォリー監督作。映画のためにカズオ・イシグロが脚本を書きおろした。題名からして白系ロシア人の話だろうなと思い、久しく気になっていた。 妻と子を亡くし、半ば自暴自棄の生活を送る米国人外交官(レイフ・ファインズ)は、異国の地、上海…

プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ(Борис Годунов)』1831

急遽オペラ『ボリス・ゴドゥノフ』を予約した為、その予習(先日の記事参照)。 プーシキンの戯曲。1825年に執筆され、1831年検閲をパスして出版。しかし作中の批判的精神は当局を躊躇させ、舞台上演には更に40年の歳月を要した。岩波書店、佐々木彰譯。良い翻…

リラダン『遺稿断章』1

リラダン研究書の閲覧申請を断られた。落澹のあまりに、その三流大学図書館とレファレンスの婢女とを罵り且つ呪い(無論心の中で)、腹癒せに来月のオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』の最上席を予約した所で、何とか腹の蟲は治まった。本の方は£70で英国から輸入…

20221005日記

眠れぬ為日記をつける。 小雨、過し易い。フォーレのレクイエムを聴く。近頃政治が煩いが、私にとって国家など、偶然に生を受けた土地以外の何でもないから、どうなってくれても構わない。喩えこの国の輿論が寛容を喪い、我々に対して(つい80年前の様に)攻撃…

20221003日記

神は、言葉でもなく、象徴でもなく、抽象でもなく、恰も我々が、我々を愛し、識り、理解する父と暮らすように、魂が相共に暮すところの存在である。 その情緒は極めて甘美にして強烈であるから、一度それが去ってしまうと、それはもはや、それよりも強度の低…

マラルメ『ヴィリエ・ド・リラダン(Villiers de l'Isle-Adam. Conférence par Stéphane Mallarmé)』1890

ヴィリエを偲ぶステファヌ・マラルメによって、1890年2月にベルギーで行われた講演のテキスト。その翻譯の森開社による上梓。随分と前に神保町の田村書店で購入して目を通したが、覚書を遺していなかった。翻譯が拙く読み難いテキストである。 彼の読書量は…

ヴィスコンティ『地獄に堕ちた勇者ども(The damned)』1969

ルキノ・ヴィスコンティ監督作。 製鉄一族である男爵家。当主が殺害されequibiliumの崩れた一家の、醜い権力闘争を描く。デカダンな風俗描写がその醜さを際立たせるが、この至高の腐敗に、美を見出す人もいるのだろう。渋澤龍彦氏あたりは歓びそうだ。 私が…

リラダン『脱走(L'Evasion)』1887

一幕からなる散文の劇。エピグラムはヨハネ傳福音書から「ラザロよ、出で来れ」。ここに云うラザロは、ルカ傳第16章の貧しき者とは別人。ベタニヤのマリヤ、マルタの兄弟で、イエスの友人。ラザロは病に拠りて一度死ぬが、墓におかれて四日を経たころ、イエ…