Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

「反時代的精神の正当性; 齋藤磯雄とカトリシズム」『三田文學』84巻82号 2005

晴れ。長期休暇の初日。

駒場の前田侯爵邸の敷地内にある日本近代文学館に出掛ける。『ヴィリエ・ド・リラダン移入飜譯文獻書誌』の閲覧が目的である。CiNiiで検索したのであるが、公の図書館には一切所蔵がなかった。斯様に貴重な一册が、何故この文学館にあるのか。著者の小野夕馥氏が書誌編纂のために此処をよく利用していた為だそう。本に謹呈文が挟まっていた。

この書誌の中に、「斎藤磯雄とカトリシズム」という文献を見つけた。二人の学者の対談を記録したものである。面白いエピソードを幾つか読んだ。

・齋藤磯雄氏には20歳程年の離れた長兄が居り、長兄は帝国大学で学んでいたが、病で帰郷。無教会派のクリスチャンであった長兄の為、幼い齋藤氏は聖書を朗読したと。

三島由紀夫と斎藤磯雄氏がテレビ番組で対談することになった。三島が控室で「斎藤磯雄はまだか」と云うと、隣にいた男が「私が齋藤です」と返した。三島は一度部屋を出て、「失礼致しました」と斎藤氏に挨拶をした。三島は、齋藤氏の漢学的素養に満ちた彫琢の文章からして、齋藤氏を隠者めいた高齢男と決めつけていたらしい。だから隣に居た若々しい男が齋藤氏とは、つゆも思わなかったのだ。

この夏には、齋藤磯雄氏ゆかりの清川村にでも行ってみようかしら。

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