Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

20240401日記_復活祭或いは愛する人の死

主の御復活おめでたうございます。

 

先日、祖父が亡くなつて以来はじめて祖父の家を訪れた。殊勝な事に、今や祖母は一人でestateの管理をしてゐる。女は強い、祖母や母を見てゐるとさう思ふ。私の一族の男はみな感傷的でいけない。

 

かのやうなclichéを使ひたくはないのだが、祖父の地所を逍遥してゐると、私は祖父が傍らにゐるやうな気がしたのだつた。祖父はどこにゐるのだつけか、書斎か知ら、川辺か知らと。

 

いみじくもリラダンが『ヴェラ』にて描破した事だが、死者は、生者がかの人の死を意識する事によつて、はじめて死者となる。さういふ事だらう。私はまだ祖父の死を受容れてゐない。

 

死は救済であると、私はこのブログで繰りかへし、横風に述べて来た。当人にとつてはさうに違ひない。私自身が現し世からの逃避を望む気持も、同様に誠である。だが残された人にとつては?

 

私はこれ以上、家族の死を堪へる事ができさうにない。愛する人無くして、この世に何があらう?私をかやうな世界で獨りにしないで欲しい。

 

主よ。復活祭を迎へて尚ほ、頑なで蒙昧なる我身、いと弱き我身を憐み給へ。

 

あゝ生きねば。