Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

長谷川潔とマニエール・ノワールに就いて


晴れ、身に堪ふる寒さ。各大学は卒業式を迎へてゐるやうで、昨日などは学習院門前で愛子内親王殿下を御見かけした。祖母に話してやらう、きつと悦ぶだらう。

 

扨て、眩しい若者達を余所目に、私は休暇を利用して群馬県立近代美術館を訪ふた。私はこの美術館を以前から知つてゐた。何せギュスターヴ・モローの所蔵がある。それに現在、長谷川潔画伯の特別展が催されてゐる。

 

私は朝まだきの上野驛を発つた。高崎驛まで乗換は無いが、遅延もあり到着に三時間を要した。旅上には窓の外、野に咲く菫の観賞を愉しんだ。春である。私はうら若き菫を前にして、己の蒼然たる外套姿を耻ぢた。

 

高崎問屋町驛付近の仏蘭西料理店「リラダン」で昼餉。店名はパリ北西ポントワーズ近郊のコミューンに由来してをり、斯の作家を意識してのものではない。前菜にパテ・ド・カンパーニュ、主菜は白身魚のパータ・フィロ。

 

レストラン近くの停留所から路線バスを乗継ぎ一時間。気分を悪くし乍らも、群馬県立近代美術館に到着。此処らで画伯の事を少し書いて置かう。

 

長谷川潔は1891年横浜に生る。生れ乍ら蒲柳の質で、実業に堪へ兼ねるといふ判断から芸術家を志す。若き頃にはウィリアム・ブレイクオディロン・ルドンの神秘性、象徴性に惹かれてゐたと云ふが、この傾向は後年になつて彼を捉へた。

1918年銅版画技法習得の為に渡仏、以後再び帰朝せず。大戦中の苦難を乗越へ仏国で仕事を続ける。後年、版画技法マニエール・ノワールを、新しい表現を以て復興させた功に拠りて、仏翰林院の会員となつた。

 

招待券を示して展示室へ。画伯は天才型にあらず秀才型の芸術家であつたやうで、chronologicに並べられた展示には、たゆまぬ努力の跡が顕著であつた。殊、画伯が齢七十弱にして示されたマニエール・ノワールへの専心には、感嘆を禁じ得ぬ。

 

マニエール・ノワールとは黒と白の半調子でグラデーションを表現する技法。油絵のモノクローム複製をつくるのに適した技法として、18世紀から19世紀前半に隆盛を見るが、その目的上、写真の発明と伴に衰退し、画伯が渡仏した頃には幻の技法となつてゐた。

画伯のマニエール・ノワールの特長。上述に反して画伯は、本技法でコントラストを表現した。目立ちの密度が高い、ビロードが如き漆黒の背景に浮かぶのは、白き線で簡潔に表現された植物、動物らモチーフ。それらモチーフは細心の注意で配置されてゐる。作品には強度の洗練があり、簡潔さをvirtueとする日本芸術の亀鑑である。

『小鳥と胡蝶』(1961)、『飼ひ馴らされた小鳥』(1962)を見て欲しい。暗闇の中にぼうつと浮かぶ対象。鑑賞を続けてゐると、丁度朧気な記憶を探つてゐるやうな感覚に陥ゐるが、それが何とも心地良い。

小鳥の表情を見よ。地に彳みて、つぶらかなる眸以て、花と種子とをみつむる小鳥。それは何かを思索してゐるやうな、或いはうつらうつらと無心で眺めやつてゐるやうな。

私は久しくこの小鳥の態度を失してゐたやうに思ふ。即ち、美を前にして、我等が採るべき態度を。斯の小鳥のやうに、世俗を忘却し、魂の閑情を保ち、半眼でじつと対象をみつむること。この態度無くしては、我々は美を愉しめないし、美を解き明かす事もできまい。