市村崑監督作。夏目漱石の『こゝろ』が原作、森雅之が先生、安井昌二が私、新珠三千代がお嬢さん。やけに芝居臭い演出と思ったが批評家の受けは良かったそう。確かに、先生の遺書の場面になってからは面白かった。だが襖を開けるシーンは絶対に2度必要であった。
小説を読んだのは中学生の砌だったと思う。高島屋の「自由書房」で買った岩波文庫版。高校生の時にも国語科の授業で読んだ。文章が平易・明晰。話も浪漫的で親しみ易い。それに読む度に新しい印象を抱く。この小説が永く愛される所以であろう。
Kの死については随分と考えたが、結局思うのは、お嬢さんの件に関わらず、Kは近く自殺したろうという事だ。だから私は、先生が罪の意識に囚われる必要を認めない。気の毒なことだ。尤も、一番可哀相なのはお嬢さんだが。
精神的に向上心のないものは、馬鹿だ
モーリヤックの人間観ではないが、人間とは宿命的に低劣な、詛われた存在である。だが稀に、この現実に抗い高尚なものを希求する輩が現れる、Kもその一人だ。こうした「夢想」を抱く者の帰結する所とは?
結局、夢想する、それは死ぬことです。(ヴィリエ・ド・リラダン)
Kの遺書にある言葉。
もつと早く死ぬべきだのに何故今まで生きてゐたのだらう
これは私の言葉にもなろう。
暫く旅行をしていた。東京にばかり居ると感性が腐るから。