Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

市村崑『こころ』1955

市村崑監督作。夏目漱石の『こゝろ』が原作、森雅之が先生、安井昌二が私、新珠三千代がお嬢さん。やけに芝居臭い演出と思ったが批評家の受けは良かったそう。確かに、先生の遺書の場面になってからは面白かった。だが襖を開けるシーンは絶対に2度必要であった。

小説を読んだのは中学生の砌だったと思う。高島屋の「自由書房」で買った岩波文庫版。高校生の時にも国語科の授業で読んだ。文章が平易・明晰。話も浪漫的で親しみ易い。それに読む度に新しい印象を抱く。この小説が永く愛される所以であろう。

Kの死については随分と考えたが、結局思うのは、お嬢さんの件に関わらず、Kは近く自殺したろうという事だ。だから私は、先生が罪の意識に囚われる必要を認めない。気の毒なことだ。尤も、一番可哀相なのはお嬢さんだが。

精神的に向上心のないものは、馬鹿だ

モーリヤックの人間観ではないが、人間とは宿命的に低劣な、詛われた存在である。だが稀に、この現実に抗い高尚なものを希求する輩が現れる、Kもその一人だ。こうした「夢想」を抱く者の帰結する所とは?

結局、夢想する、それは死ぬことです。(ヴィリエ・ド・リラダン)

Kの遺書にある言葉。

もつと早く死ぬべきだのに何故今まで生きてゐたのだらう

これは私の言葉にもなろう。

暫く旅行をしていた。東京にばかり居ると感性が腐るから。