Epistula ad mē

美というものは芸術と人間の霊魂の問題である

20231011日記_ニヒリスムの悪

晴れ。歯科検診。オーダーしてゐたパンツが仕上がつた。深まる秋の永き夜、シューベルトピアノ曲を聴いてゐる。

 

人間の本性は腐敗してゐる。この世に真の満足はなく、愉しみは虚栄に満ち、不幸は無限であり、さうした大層な人生の最期を飾るは死である。

だがかうした事実を人に吹聴して何にならう? 

我々はその悲惨を自覚すればこそ、イエズス・キリストの贖ひを信じるべきではないか。救ひを求めるべきではないか。さうした態度は救ひを拒絶し虚無主義に陥るよりも、杳かに良いものではないか。人類が絶望を克服する、唯一の途ではないか。

 

それ十字架の言は亡ぶる者には愚なれど、救はるる我らには神の能力なり。智者いづこにか在る、学者いづこにか在る、この世の論者いづこにか在る、神は世の智慧をして愚ならしめ給へるにあらずや。世は己の智慧をもて神を知らず(これ神の智慧に適へるなり)この故に神は宣教の愚をもて、信ずる者を救ふを善しとし給へり。(コリント前書1:18, 20-21)

 

覚書き

ヴィリエ・ド・リラダンパスカル