Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

ブッツァーティ『タタール人の砂漠(Il deserto dei Tartari)』1940

私は満足するすべを知ったんだ。年ごとに望みを小さくしていくことを覚えたんだ。

 

雨、四旬節第二主日(2ème dimanche de carême)。神田教会でミサに与る。ミサ曲は第17番が歌はれた。今日の神父様のHomilyをどう形容しやうか一寸考へて、"Tender and meek like a sacred tale"に落ち居た。神父様はパリ外国宣教会の宣教師だつたが、味はひ深い説教であつた。

 

ディーノ・ブッツァーティは20世紀伊太利の作家である。大学の後輩の薦めで本作を読む事にした。ブッツァーティは不条理の作家と呼ばれてゐるやうだが然り、主人公ジョヴァンニ・ドローゴは人生の不条理を味はふ。

 

時代も場所も定かではないし、重要でもないが、移動手段や武器の描写から19世紀中葉である事、作者自身の経験から伊太利北部の山岳地帯を想定してゐる事は判る。

 

特別な人生を期待する者達を嘲笑ふ物語。世の人間の大半は、その短き青春を了へると、組織てふ小宇宙の中の一分子となる。そして冷酷に遁走する時の流れに身を任すまま、惰性の裡にただ年老いてゆく。

 

多数者はこの事実を意識せぬままに受容し、ありきたりの人生を謳歌する。だが一部の少数者は、さうしたありきたりを「不条理」と看做して受容れず、ありもしない希望にしがみ付かうとする。ドローゴもその一人だ。彼の置かれた環境が「辺境の無用な要塞」である事が、彼の焦燥を際立たせたのかも知れない。

 

先に述べたが、物語はさうした少数者を嘲笑ふかのやうに進行してゆく。この少数の愚か者共は、ありきたりの人生がもたらす幸福でさへも失ふ結果に了るのだらう。私自身がさうである。

 

物語が暗示してゐるが、かうした現世の「不条理」に艱難する人間の救ひは、人をそれから解き放つ「死」のみである。「死」こそは万人に約束された、人生の一大事である。なれば人は、洋々として「死」を迎ふる為の準備にこそ、心を向けるべきではないか。そしてそれを助けるは、人間の生と死を哲学し切つたカトリシスムあるのみだと、私は銘記しておきたい。

 

 

vernacular 現地語の
hyssop シソ科の多年草

doxology 栄唱(Gloria Patri...)
antiphon 交唱
Quadragesima 四旬節
隘路(あいろ) 進行の難所
bring with it もたらす
ゴンザーグ・ド・レイノルド 20Cスイスの伝統主義者
ルイ・ド・ボナール 18Cフランスの反革命哲学者

affect an air of detachment 無関心を装う
cedar pollen スギ花粉
indolence 怠惰
mould カビ
musty カビ臭い
光暈(こううん) 輝いているものの周辺に見える淡い光のかさ
誰何(すいか) 身元確認すること
営倉(えいそう) 軍律違反の軍人を収容する施設
角灯(かくとう) ランタン
象嵌象眼(ぞうがん)
押しも押されもせぬ 確かな実力を具えていること
虻蜂取らず 欲張りすぎて失敗すること
dominatrix 女主人
double tongue 二枚舌
sterile 不毛な(=barren) ↔ fertile 肥沃な
把手(はしゅ) 手に握る部分、取っ手
天佑(てんゆう)
破顔一笑(はがんいっしょう) にっこりと笑う様子
風発の感(ふうはつのかん) 弁論などが勢いを増すこと
bucket list やりたい事リスト
conscientious objection 良心的兵役拒否