Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

Literature/Humanities

「反時代的精神の正当性; 齋藤磯雄とカトリシズム」『三田文學』84巻82号 2005

晴れ。長期休暇の初日。 駒場の前田侯爵邸の敷地内にある日本近代文学館に出掛ける。『ヴィリエ・ド・リラダン移入飜譯文獻書誌』の閲覧が目的である。CiNiiで検索したのであるが、公の図書館には一切所蔵がなかった。斯様に貴重な一册が、何故この文学館に…

リラダン『アクセル(Axël)』1890 再々読

幾度目かの再読。 人の世の否定。須臾の裡に楼閣は崩れ、肉は腐り、思想は消え失せる。だから「非創造・実在≪つくられずしてあるもの≫」の裡に遁れ去れ。本作に於る教役者は斯く唱える。だがサラとアクセルはこの理想を抛棄する。「黄金の夢」が、「青春」が…

ベルナルド・オリベラ『証言者たち(How Far to Follow? The Martyrs of Atlas)』1997_殉教についての覚書

一粒の麥、地におちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。己が生命を愛する者は、これを失ひ、この世にてその生命を憎む者は、之を保ちて永遠の生命に至るべし。人もし我に事へんとせば、我に從へ、わが居る處に我に事ふる者もま…

遠藤周作『イエスの生涯』1973

四旬節には、イエズスやカトリックに関連する本、映画、音楽を味わう様にしている。本日は遠藤周作の『イエスの生涯』を再読。 本書は深いレアリスムに根差したイエズス伝。「神は愛」。遠藤はこの至純至厳の本質から外るる事なく、イエズスの生涯に「現代的…

ネルヴァル『シルヴィ(Sylvie)』1853

幻影は一つ一つ落ちて行つた、果實の皮のやうに。そして果實とは、それは經驗と云ふものである。その味は苦い。然しそこには人を堅固にする苛烈なものがある。 ジェラール・ド・ネルヴァルによる自伝的小説。幼少の砌、イル・ド・フランスの古色蒼然たるヴァ…

リラダン「ソレームの會見(Une entrevue à Solesmes)」『ル・フィガロ(Le Figaro)』1883

J’ai combattu le bon combat. Saint Paul. 1883年3月7日に没したフランスのジャーナリスト、ルイ・ヴイヨ(Louis Veuillot)を悼む趣旨で、4月19日付のル・フィガロ誌上に発表された記事。その後『奇談集(Histoires insolites)』に短篇小説として所収。 短篇…

フランクル『夜と霧(Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager)』1946

死に至る病とは絶望のことである キェルケゴール 著者ヴィクトール・フランクルは、ホロコーストを生き延びたオーストリアの心理学者。本書は、強制収容所に於いて限界状況にある人間の姿を、心理学的に記録したものである。人間はいと高き處に近付けるとい…

リラダン『ヴェラ(Véra)』1874

ダートル伯爵は鍾愛の妻ヴェラの死を全智にかけて否定し、全く妻の死を意識せざる境地に生活する。神秘的な夢に身を捧げる彼の強い意志は、夫人をして常世より立戻らせた。だが彼が妻の死を自覚した刹那、あなやすべての幻影は空中に紛れ、姿を隠してしまっ…

リラダン「回想(Souvenir)」『ルヴュー・ワグネリエンヌ(La Revue wagnérienne)』1887

ヴィリエ・ド・リラダンは1861年3月『タンホイザー』のパリ初演を見て感嘆したと書き残している。また同年5月には、ボードレールの仲介によりリヒャルト・ワーグナー(当時50歳)の知己を得た。ヴィリエはワーグナーを深く畏敬し、又作曲家もこの若き天才を愛…

ボードレール「リヒャルト・ワーグナーと『タンホイザー』のパリ公演(Richard Wagner et ≪Tannhäuser≫ à Paris)」1861

1861年皇帝ナポレオン三世の勅命により『タンホイザー』のパリ初演は実現した。しかしボードレールによれば、『タンホイザー』は「聴かれさへしなかつた」。大衆とジャーナリスムの心無い作品非難に対し、ボードレールは雄勁なワーグナー擁護論を張った。 ボ…

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(4) パリへ;『處女詩集』

1855年家族に伴われパリに出京する機会を得たヴィリエは、Café de l'Ambiguでルメルシエ・ド・ヌヴィルら文学青年との交流を始める。劇作家として身を立てるべく運動をしたようだが叶わなかった。翌年失意の裡に帰郷する。 ヴィリエは憂鬱にサン・ブリューで…

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(3) 初戀

新宿のカフェで、年端のゆかぬ、それこそ十五にも満たぬ少女らが、楽しそうに援助交際の話をしているのを偶然耳にして以来、心緒が絲の如く乱れている。現代社会の陥っている頽廃の異常な深さに、私は絶望しそうだ。 ベネディクト16世は回勅でこう述べられた…

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(2) 幼少

ロッシーニは偉大だ。『セビリアの理髪師』を聴いている。単純明快、朗らかで心弾む旋律。ドイツ・ロマン派の後期作品ばかりを聴いて凝り固まった我が身に沁みわたる、陽の光。 さて本題。まさかの第2回である。リラダン一家は、マティアス、父ジョゼフ・ト…

ヴィリエ・ド・リラダンの生涯(1) 血統

シリーズ『ヴィリエ・ド・リラダンの生涯』を連載しようと思う。多分続かない。2月にある『タンホイザー』の公演に向けて、ボードレールのワーグナー論も読まねばなるまいし。 ジャン・マリ・マティアス・フィリップ・オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラ…

リラダン『トリビュラ・ボノメ(Tribulat Bonhomet)』1887 再読

ledilettante.hatenablog.com 再読。スウェーデンボルグの「信仰の思想を凌駕せるはなほ思想の本能を凌駕せるがごとし」という言葉が、本物語のすべてを表している。「学問」に裏付けられたセゼエルのヘーゲル流弁證法は、低俗な物質主義の権化であるボノメ…

渡邊一夫『ヴィリエ・ド・リラダン覺書』1940

弘文堂書房上梓。渡邊氏の研究は齋藤磯雄氏が全面的に引継いでおられるから、この本の内容に新しい事は無かったが、以下の渡邊氏の言葉にはと胸を突かれた。 僕はやゝもすれば、リラダンの「人間」としての美しさにほれぼれとして、「作品」自身の持つてゐる…

モーリアック『偽善の女(La Pharisienne)』1941

神は愛なり 一ヨハ4:16 La Pharisienneはパリサイ女の意。この話で問題となる女は、新約聖書に於るパリサイ人が如く律法に忠実で、罪を冒した人間を咎め、"教化"しようとする。「法律の文字の方を精神よりも守ろう」とする。 その結果多くの人間に反感を抱か…

モーリアック『火の河(La fleuve de feu)』1923

フランソワ・モーリアックが創作の初期に遺した短篇小説。「火の河」とは「罪の状態」の比喩表現である。 處女性を渇望する蕩児と、娘の魂の救いのため手を尽す女、この両者の間を彷徨する娘。前二者は、それぞれ悪魔と神の声を象徴している譯。 モーリアッ…

ネルヴァル『オーレリア(Aurélia ou le rêve et la vie)』1855

睡眠薬をもらう為医者に掛かる。薬さえ手に入ればよいのに、何故医者を介する必要があるのか。詮なき事だ。私の尊大な自尊心は、懊悩や孤独を喋喋と口にすることを決して肯じない。こうして文字におこすことはできるのだが。『ペンは弁より強し』。損な性分…

ベルトラン『夜のガスパール(Gaspard de la nuit)』1842

この稿本には、諧調と色彩のおそらくは新しい技法が數かずおさめてあるのです。 アロイジウス・ベルトラン(Aloysius Bertrand)による詩集。「散文詩」とはすなわち、無韻無脚でありながら詩的律動を感じさせる文章のことを言うが、ベルトランは『夜のガスパ…

ドン・ボスコ社『愛の使徒 聖ウィンセンシオ・ア・パウロ』1935

神は愛なり(一ヨハ4:16) ドン・ボスコ社発行の『愛の使徒聖ウィンセンシオ・ア・パウロ』なる書物を読んだ。聖人伝とはなかなか面白いものである。 ledilettante.hatenablog.com 前にも書いたが、聖ヴィンセンシオ・ア・パウロは「行動」の人である。教会や…

ドン・ボスコ社『ドメニコ・サウィオ傳』1929

イエス跪づきて祈り言ひたまふ、『父よ、御旨ならば、此の酒杯を我より取り去りたまへ、されど我が意にあらずして御心の成らんことを願ふ』(ルカ傳22:41-42) ドン・ボスコの『ドメニコ・サウィオ傳』を読んだ。ドミニコ・サヴィオはカトリックの聖人。1842年…

中島敦『斗南先生』1942

中島敦による短篇小説、私信と云っても可い。奇言奇行に富む漢学者であった伯父に対する作者のアンビバレントな想いを分析する、心理小説の趣がある。 決して彼が不遇なのでも何でもない。その自己の才能に対する無反省な過信はほとんど滑稽に近い。時に、そ…

中島敦『山月記』1942 感想文

醜悪な現実から目を背けるため書物を読むことが、良い習慣な譯がない。深く夢想に涵れども、一歩書斎を出れば、それは一撃のもとに瓦解する。失望を重ねるうち、人の性は彌々狷介となる。私もそうだ。だがそんな私が自尊心を弑して真っ当に社会生活を営む、…

萩原朔太郎「馬車の中で」詩集『青猫』1923より

仕事で連日伊太利からの客人を饗している。ビジネスライクな英語を聞き、又話していると、美くしい日本語が恋しくなる。酒の酔いが冷めぬままに執筆。 先日丸ビルのサロンにて、松岡多恵女史が歌う、萩原朔太郎の詩による歌曲を聴いて以来、ゆくりなく萩原朔…

リラダン『アケディッセリル女王(Akëdysséril)』1885、再読

ヴィリエによる中篇小説。初出は1885年La Revue contemporaine誌上。『アクセル』や『トレードの戀人』と同様の主題を持つ。すなわち「或る魂が至高の完成に到達し、もはや下降以外にあり得ない」場合、至福の絶巓に於て自ら命を絶つことは美徳足り得るので…

『リラダン=マラルメ往復書翰集』白鳥友彦譯 1975

森開社上梓。ヴィリエ・ド・リラダン伯爵とステファヌ・マラルメの間に交わされた書翰集。互いの存在が、彼岸世界の詩人らをして、しばし現世にとどまる理由にすら成り得た友情。手紙は歯抜けで、内容に満足はしていないが、それでも示唆に富むものであった…

プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ(Борис Годунов)』1831

急遽オペラ『ボリス・ゴドゥノフ』を予約した為、その予習(先日の記事参照)。 プーシキンの戯曲。1825年に執筆され、1831年検閲をパスして出版。しかし作中の批判的精神は当局を躊躇させ、舞台上演には更に40年の歳月を要した。岩波書店、佐々木彰譯。良い翻…

リラダン『遺稿断章』1

リラダン研究書の閲覧申請を断られた。落澹のあまりに、その三流大学図書館とレファレンスの婢女とを罵り且つ呪い(無論心の中で)、腹癒せに来月のオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』の最上席を予約した所で、何とか腹の蟲は治まった。本の方は£70で英国から輸入…

マラルメ『ヴィリエ・ド・リラダン(Villiers de l'Isle-Adam. Conférence par Stéphane Mallarmé)』1890

ヴィリエを偲ぶステファヌ・マラルメによって、1890年2月にベルギーで行われた講演のテキスト。その翻譯の森開社による上梓。随分と前に神保町の田村書店で購入して目を通したが、覚書を遺していなかった。翻譯が拙く読み難いテキストである。 彼の読書量は…