Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

Literature/Humanities

ブッツァーティ『タタール人の砂漠(Il deserto dei Tartari)』1940

私は満足するすべを知ったんだ。年ごとに望みを小さくしていくことを覚えたんだ。 雨、四旬節第二主日(2ème dimanche de carême)。神田教会でミサに与る。ミサ曲は第17番が歌はれた。今日の神父様のHomilyをどう形容しやうか一寸考へて、"Tender and meek li…

堀辰雄『ルウベンスの偽画』1927

彼女の顔はクラシックの美しさを持っていた。(...)彼はいつもこっそりと彼女を「ルウベンスの偽画」と呼んでいた。 ルーベンス。国立西洋美術館にも何枚かは所蔵があつたと思ふ。ルーベンスの、陽光を帯びる鮮やかな色づかいは、確かに比類なく美くしい。だ…

バーリン「ジョゼフ・ド・メストルとファシズムの起源(Joseph de Maistre and the Origins of Fascism)」1990

五旬節。ほんのすさびに高等学校の卒業アルバムを開いて見る。吐き気。青春とはグロテスクなものである。 ユダヤ人思想史家アイザイア・バーリンによるジョゼフ・ド・メーストルの思想研究。著者は原典を豊富に引用し乍ら、それらに中立的解釈を施して、総合…

ド・メーストル『サン・ペテルスブルグの夜話(Les Soirées de Saint-Pétersbourg)』1821_戦争論に就ての覚書

人類進歩を信ずるのは怠け者の学説だ。進歩(真の進歩、即ち精神上の進歩)は、唯々、個人の中にしか、また個人自身によつてしか、あり得ない。(ボオドレエル『赤裸の心』九) さりながら、何といふ驚くべきことであらう、我々の理解から最も懸け離れてゐる秘義…

川上洋平『ジョゼフ・ド・メーストルの思想世界; 革命・戦争・主権に対するメタポリティークの実践の軌跡』2013

邪曲にして不義なる代は徴を求む (マタイ傳16:4) ボオドレエルへの思慕から、私はド・メーストルを勉強する事にした。本書は、国語で読める殆ど唯一のド・メーストル研究書であるといふ。だが目的から云へば、喩へ外国語であつても、文学史上の影響を論ずる…

モーパッサン『脂肪のかたまり(Boule de Suif)』1880

モーパッサンによる自然主義文学の傑作。高山鉄男譯。短い紙面の裡に、動物的本能と利己主義との卑しき奴婢たる人間の、惨めさを描破する。文体は場面場面に居合わせた者の日記のよう。私は平生、自然主義文学は退屈する為読まないのであるが(惨めな人間と付…

夏目漱石『草枕』1906

余もこれから逢う人物を―百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも―悉く大自然の点景として描き出されたものと仮定して取りこなして見よう。 ある画工が都会を避け、田舎で「非人情(客観、芸術至上主義の意)」の世界に游ばんとする話。小説ではある…

夏目漱石『夢十夜』1908

『夢十夜』と『草枕』が話題に上つたから、先刻ジュンク堂で文庫版を買つて再読。 こんな夢を見た。 十夜の夢を綴る漱石の小品。『三四郎』、『それから』、『彼岸過迄』そして『こゝろ』。これら漱石の代表作は、云ふなれば心理小説。「明治」と云ふ特定の…

プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン(Евгений Онегин)』1832

いつものフランス料理店、隣のテーブルで夫人と5歳位の男の子とが会話をしてゐる。タイムマシンがあつたら、過去と未来のどちらへ行きたい? 男の子は迷はずに答へた、未来と。 プーシキンの韻文小説。一月に新国立劇場で、チャイコフスキーの『エフゲニー・…

ボオドレエル「再びポオに就いて」覚書

藝術家は美に對する精妙な感性あればこそ藝術家なのである 詩人は、不正のない處に、斷じて不正を見ない。が、俗眼には何物も見えぬ處に、實に屢々不正を見るのである。 詩人の過󠄁敏性なるものは、凡俗の所謂氣質とは關係がない。それは缺陷、不正に對する異…

パスカル『パンセ(Pensées)』1670

『パンセ』はパスカルが出版を企図してゐた護教論の覚書や下書を中心とする遺稿集。『パンセ』の翻譯は多数あるが、一番まともな日本語になつてゐるのが、この中公文庫版。翻譯の底本はブランシュヴィック版。遺稿が内容別に整理されてゐる為、読者に易しい。…

リラダン『王妃イザボー(La Reine Ysabeau)』1880

この齢になつて甲斐もなく仏語学校に通つてゐる。齢二十五で斯う云ふと失笑を買はれるだらうが、若さの可能性を知るのは年を取つてからだし、抑々臆病な自尊心で身動きの取れぬ青年など、老人と大して変はる所がない。 話が逸れた。今日とて仏語の勉強のため…

ロンゴス『ダフニスとクロエー』A.D. 200-300

《......お金を! 少しお金を!》 ヴィリエ・ド・リラダンに、『ヴィルジニーとポール』と云ふ小品がある。サン・ピエールの『ポールとヴィルジニー』をさかしまにした名で、近代功利の腐敗が少年少女のあどけない牧歌にさへ浸透してゐる事を諷刺した作品。…

ボードレール『火箭(Fusées)』『赤裸の心(Mon Coeur Mis à Nu)』遺作

ボオドレエルの観察や所感、箴言の覚書き。『惡の華』を上梓した頃から、詩人が失語症になる直前迄に書かれた。母に宛てた書簡を見ると、ルソーの『告白録』に倣ひ、出版を意図して書留めてゐた事が分る。 世間が崇拝してゐるものに対して、僕が自分をさなが…

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』1937

今、同名のジブリ映画が上映されてゐる。尤も脚本はオリジナルださうだが。 私は本書を、遠い昔に読んだ覚えがある。その筋こそ忘れてゐたものの、本質の部分は確かに私の内奥に生きてゐた。その一つ、「自らの過ちに対し言い訳をし、それを忘却するやうな事…

ティボーデ『フランス文学史(Histoire de la littérature française - de 1789 à nos jours)』1936_ボードレール論

「『惡の華』の歴史。誤解によつて受けた屈辱、訴訟」(ボオドレエル『赤裸の心』) 「私の蒙つた屈辱は神の恩寵であつた」(ボオドレエル『火箭』) 「罪の増すところには恩惠も彌増せり」聖パウロ アルベール・ティボーデは史学と哲学を修めた後に、文芸批評の…

竹宮惠子『風と木の詩』1976-84

www.youtube.com カラヤン率ゐるベルリーナフィルハルモニカ。今ではこの名門オケも様変りし、女性コンマスが誕生したと云ふ話も聞いた。性差なく実力ある人間がコンマスになれば良いと思ふが、女性のコンマス就任、それがさも意味ある事のやうに宣伝する浮…

エルネスト・ルナン『イエスの生涯(Vie de Jésus)』1863 

基督が、祈禱と信仰とは物質的にすら全能だと信じ給うたことを、ルナンは莫迦げてゐると考へてゐる。(ボオドレエル『赤裸の心』) エルネスト・ルナン(1823-92)は19世紀フランスの思想家。ブルターニュの敬虔な家庭に生れ、サン・シュルピス神学院に学ぶが、…

メリメ『シャルル九世年代記(Chronique du règne de Charles IX)』1829

古い岩波の赤帯、1952年の譯。 16世紀の末葉、シャルル九世治世のフランス社会風俗を描いた歴史小説。サン・バルテルミーの虐殺を中心に、当時の社会を渦巻いていたカトリック・プロテスタントの宗教対立を主題とする。 長い序文で喋々と歴史論考をしている…

ポオ『大鴉(The Raven)』1845

エドガー・アラン・ポオの代表作『大鴉』。哀感と音楽とに満ちた物語詩。日夏耿之介氏の飜譯、ギュスターヴ・ドレの挿絵が付いた豪華本を読んだ。 或る厳冬の夜半、亡き恋人を想い悲観に暮れる男の部屋に、黒檀色の大鴉が飛び込んでくる。男はすさびに鴉に名…

『増補フランス文学案内』岩波書店 1989

近頃読書量が落ちている=心が荒んでいることを危惧した私は、アルベール・ティボーデの『フランス文学史』を購入した。読むべき本を見つける為である。ティボーデが届くまでの時間、私は予習として岩波の仏文入門書を再読する事にした。 岩波の入門書は、19…

堀辰雄『聖家族』1932

堀辰雄の心理小説。別で『美しい村』も読んでゐたのだが、そつちは途中で飽きてしまつた。本作は「ラディゲのやう」と評されてゐるがどうだらう。この小説に限らず、堀辰雄の作品は理知でなく、寧ろ感覚に特徴付けられると思ふ。印象派の絵画のやうに。 私と…

三島由紀夫『仮面の告白』1949

祖父危篤の報を受けて暫し実家に身を寄せてゐる。手持無沙汰で子供部屋の本棚を眺める。英語の参考書が大半、ギリシア神話集にドイツ詩集(読んだ覚えはない)、漱石全集、岩波と新潮の文庫判が数十冊。 『仮面の告白』が目に留まつた。本棚にある他の三島作品…

森鷗外『堺事件』1914

鷗外の歴史小説。鷗外は死の描写をロマネスクに書く事が無い。 短刀を取って左に突き立て、少し右へ引き掛けて、浅過ぎると思ったらしく、更に深く突き立てて、緩やかに右に引いた。 斯うした具合である。まるで料理の手順書のやう。失礼な喩えかな。 ランキ…

森鷗外『阿部一族』1913

今朝家を出るまへ、本棚からランダムに文庫本を引抜いた。それが『阿部一族』であつた。 鷗外の歴史小説。高等学校の生徒であつた砌、国語科の授業で、内藤長十郎元続が主人に殉死の許しを請ふ場面を読んだ。「死」に関心を示すおませな文学少年であつた私は…

メーテルランク『青い鳥(L'Oiseau bleu)』1908

作者の空想が駆使された童話劇。堀口大學譯を読む。 主人公の兄妹チルチルとミチルは「青い鳥」を探す冒険の途上、作者によって擬人化された物質・概念と出逢う。擬人化の対象は犬、猫に始まり、夜や光、植物に家畜、幸福や喜びなど様々。彼ら「人間の言葉」…

メーテルランク『モンナ・ヴァンナ(Monna Vanna)』1902

1925年新潮社より上梓された山内義雄の飜譯を読む。 『モンナ・ヴァンナ』。"Monna"は既婚女性に対する尊称"Madonna"の省略形、Vannaは女性名"Giovanna"の省略形、つまり「ジョヴァンナ夫人」の意である。名こそドン・ジョヴァンニに通ずる所があるが、本作…

メーテルランク『闖入者(L'Intruse)』1890

一幕からなる戯曲。1925年新潮社上梓の山内義雄譯を読む。 「闖入者」とは運命の事を云っている。「逃れられぬ運命は如何に我々に逼って来るのか」という主題を、彼一流の対話法と、音や光の象徴で表現している。 メーテルランクの運命論には、『青い鳥』(実…

メーテルランク『マレエヌ姫(La princesse Maleine)』1889

山内義雄譯、1925年新潮社上梓。メーテルランクの飜譯と云うのは、『青い鳥』と『ペレアスとメリザンド』以外、中々為されない。斯く云うこの『マレエヌ姫』も、管見の限りでは大正時代の山内譯が最も新らしい。山内は泰西戯曲の分野に多くの譯業を為した人…

メーテルランク『温室(Serres chaudes)』1889

10日間の休暇も残す所3日。この休みに私は何をしただろう? 幾度目かの禁煙を始めた、特筆すべきはそれ位。あとは平生と変わらない。だがそれでいい。連休に出掛けるべきではない。先日薔薇園に出掛けたが、薔薇の馥郁たる香が愚衆の臭気に覆われて、私は文字…