仕事で連日伊太利からの客人を饗している。ビジネスライクな英語を聞き、又話していると、美くしい日本語が恋しくなる。酒の酔いが冷めぬままに執筆。
先日丸ビルのサロンにて、松岡多恵女史が歌う、萩原朔太郎の詩による歌曲を聴いて以来、ゆくりなく萩原朔太郎への関心が嵩っている。これは女史の見事な歌声に拠る所が大きい。
好奇心に駆られて高桐書院上梓『室生犀星選萩原朔太郎詩集』(1947)を購入。ちなみに高桐書院とは、かつて京・中京區麩屋町通二條上るに所在した出版社らしいのだが、私は知らなかった。次に京に帰る時にでも、その転遷など調べてみたいと思う。
萩原朔太郎の詩を読んでいて思うこと。
語彙が典雅であるとか、美くしいということはない。寧ろ通俗的な言葉を多く用いている。しかし彼の詩は、翻譯されたフランスやドイツの名詩篇からは感ずるべくもない、自然な仮名の優しさを湛えていると思う。
詩集の中で気に入ったものを、一篇。
馬車の中で
馬車の中で
私はすやすやと眠つてしまつた。
きれいな婦人よ
私をゆり起してくださるな
明るい街燈の巷をはしり
すずしい綠蔭の田舎をすぎ
いつしか海の匂ひも行手にちかくそよいでゐる。
ああ蹄の音もかつかつとして
私はうつつにうつつを追ふ
きれいな婦人よ
旅館の花ざかりなる軒にくるまで
私を起してくださるな。
美くしい年上の女性に懇願するようにして甘えたい。偶像崇拝者たる詩人の夢を、斯くも色鮮やかに描き出す。なんとも甘美な詩である。