Mon Cœur Mis à Nu

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

バーリン「ジョゼフ・ド・メストルとファシズムの起源(Joseph de Maistre and the Origins of Fascism)」1990

五旬節。ほんのすさびに高等学校の卒業アルバムを開いて見る。吐き気。青春とはグロテスクなものである。

 

ユダヤ人思想史家アイザイア・バーリンによるジョゼフ・ド・メーストルの思想研究。著者は原典を豊富に引用し乍ら、それらに中立的解釈を施して、総合的検討を行ふ。効果的に挿入される他思想家との比較が、ド・メーストルの独創性を浮彫にしてをり、大変面白い。

 

その一方で、「ファシズムの起源」という題名を掲げる割に、ファシズムとの連関を示す記述は少ない。二〇世紀前半を生きたユダヤ人にとつては自明の事かも知れぬが、ファシズムに就いてもう少し書くべきだ。ド・メーストルの思想が二〇世紀ファシズムを準備した、斯う云ふ主張を目的とする論文ではない事を、読者は予め諒解して置くがよからう。

 

核心にある暴力の教義、暗黒の力の信仰、人間の自己破壊本能を矯正し、これを救済のために用いることを唯一可能にする鉄鎖の賛美、理性に反する盲目的な信仰への訴え、神秘的なものだけが生き残り、説明はいつでも弁解だという考え、血と自己犠牲の教義、民族の魂を河川が流れこんで一つになる広大な海にたとえる教え、自由主義個人主義の不条理、そしてなによりも反抗的な批判的知識人の破壊的影響に対する批判――これらの旋律はたしかにわれわれが後になって聴いたものである。理論としてはともかく、実践においては、ド・メストルの深く悲観主義的なヴィジョンはわれわれの世紀の、左右両方の全体主義の核心である。

 

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