Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

2023-01-01から1年間の記事一覧

ポオ『大鴉(The Raven)』1845

エドガー・アラン・ポオの代表作『大鴉』。哀感と音楽とに満ちた物語詩。日夏耿之介氏の飜譯、ギュスターヴ・ドレの挿絵が付いた豪華本を読んだ。 或る厳冬の夜半、亡き恋人を想い悲観に暮れる男の部屋に、黒檀色の大鴉が飛び込んでくる。男はすさびに鴉に名…

『増補フランス文学案内』岩波書店 1989

近頃読書量が落ちている=心が荒んでいることを危惧した私は、アルベール・ティボーデの『フランス文学史』を購入した。読むべき本を見つける為である。ティボーデが届くまでの時間、私は予習として岩波の仏文入門書を再読する事にした。 岩波の入門書は、19…

20230624日記

曇り、花屋の軒先に青のデルフィニウムが並んでゐる。 久しぶりに近所のフランス料理屋に伺ふとマダムの装ひが夏仕様に変はつてゐた。エキゾチックな花を刺繍した柄物のフレアスカート。 3人の友人と会つて話す。紅一点が2軒目で「二丁目行きたい、絶対行き…

堀辰雄『聖家族』1932

堀辰雄の心理小説。別で『美しい村』も読んでゐたのだが、そつちは途中で飽きてしまつた。本作は「ラディゲのやう」と評されてゐるがどうだらう。この小説に限らず、堀辰雄の作品は理知でなく、寧ろ感覚に特徴付けられると思ふ。印象派の絵画のやうに。 私と…

三島由紀夫『仮面の告白』1949

祖父危篤の報を受けて暫し実家に身を寄せてゐる。手持無沙汰で子供部屋の本棚を眺める。英語の参考書が大半、ギリシア神話集にドイツ詩集(読んだ覚えはない)、漱石全集、岩波と新潮の文庫判が数十冊。 『仮面の告白』が目に留まつた。本棚にある他の三島作品…

20230617日記

音楽も書物も魂の鎮痛剤のやうなものだが、薬と同じで耐性ができるらしく、今では極限られた範囲のものしか私に効能を示さない。それも極めて短い時間しか効かないし、作用の切れた際生ずるあの切なさ、あの故知らぬ苦しみは、余りに厄介な副作用である。

20230616日記

意識の無い祖父と面会する。管を繋がれた祖父の手は冷たく、斯やうな状態で生を強ひられる祖父を不憫に思ひ乍ら、私は別れの挨拶を済まし、アヴェマリアを心で唱へた。めでたしマリア、我等が死を迎ふる時も祈り給へ。

森鷗外『堺事件』1914

鷗外の歴史小説。鷗外は死の描写をロマネスクに書く事が無い。 短刀を取って左に突き立て、少し右へ引き掛けて、浅過ぎると思ったらしく、更に深く突き立てて、緩やかに右に引いた。 斯うした具合である。まるで料理の手順書のやう。失礼な喩えかな。 ランキ…

20230613日記

曇り。入梅して以降、厭な天気が続いてゐる。広い庭のある家に住んでゐた頃は雨も嫌ひではなかつたが、陋巷の湿気は身に堪へる。本も傷む。 祖父は集中治療室に入つてゐるらしい。心肺停止の状態で見つかり、駆けつけた医者に助けられたが、意識は戻らず、脳…

20230612日記

雨、祖父危篤の報を受ける。

20230610夢日記

所在無げな私の前に彼女は現はれた。いはけない天使の笑みを湛へて。彼女は、誕生日には何が嬉しいかと私に訊ねた。君の作るものであれば何でも喜んでと答へると、彼女は笑つた。 腕を貸す仕草をすると彼女はそれに応へた。私たちは並木路を偕に歩いた。久方…

森鷗外『阿部一族』1913

今朝家を出るまへ、本棚からランダムに文庫本を引抜いた。それが『阿部一族』であつた。 鷗外の歴史小説。高等学校の生徒であつた砌、国語科の授業で、内藤長十郎元続が主人に殉死の許しを請ふ場面を読んだ。「死」に関心を示すおませな文学少年であつた私は…

リヒャルト・シュトラウス『サロメ(Salome)』1905

新しき背広を著て、新国立劇場まで出かけ鑑賞。一幕のオペラたる本作は、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』を台本に、リヒャルト・シュトラウスが曲をつけたもの。 ledilettante.hatenablog.com ヨハネの首を摑み始まるサロメの長い告白。 本日のオペラの…

ハーマナス『生きる LIVING(Living)』2022

オリヴァー・ハーマナス(Oliver Hermanus)監督、カズオ・イシグロの脚本による黒澤明監督『生きる』1952のリメイク。 ledilettante.hatenablog.com 1953年の英国。London County Hallに務める定年間際の凡庸な役人。生気の無い姿はMr. Zombieと渾名さる程。…

メーテルランク『青い鳥(L'Oiseau bleu)』1908

作者の空想が駆使された童話劇。堀口大學譯を読む。 主人公の兄妹チルチルとミチルは「青い鳥」を探す冒険の途上、作者によって擬人化された物質・概念と出逢う。擬人化の対象は犬、猫に始まり、夜や光、植物に家畜、幸福や喜びなど様々。彼ら「人間の言葉」…

20230513日記

雨。過し易い気温。 カルミーナの革靴を買ひ、手入れとトゥスチールの埋込みを依頼する間、上野の国立西洋美術館まで出掛けた。目的は「ブルターニュ展」。 国内のコレクションが殆どで、大した展示ではなかつたけれど、行かぬよりは行つて良かつた。数々の…

メーテルランク『モンナ・ヴァンナ(Monna Vanna)』1902

1925年新潮社より上梓された山内義雄の飜譯を読む。 『モンナ・ヴァンナ』。"Monna"は既婚女性に対する尊称"Madonna"の省略形、Vannaは女性名"Giovanna"の省略形、つまり「ジョヴァンナ夫人」の意である。名こそドン・ジョヴァンニに通ずる所があるが、本作…

メーテルランク『闖入者(L'Intruse)』1890

一幕からなる戯曲。1925年新潮社上梓の山内義雄譯を読む。 「闖入者」とは運命の事を云っている。「逃れられぬ運命は如何に我々に逼って来るのか」という主題を、彼一流の対話法と、音や光の象徴で表現している。 メーテルランクの運命論には、『青い鳥』(実…

メーテルランク『マレエヌ姫(La princesse Maleine)』1889

山内義雄譯、1925年新潮社上梓。メーテルランクの飜譯と云うのは、『青い鳥』と『ペレアスとメリザンド』以外、中々為されない。斯く云うこの『マレエヌ姫』も、管見の限りでは大正時代の山内譯が最も新らしい。山内は泰西戯曲の分野に多くの譯業を為した人…

20230505日記

悲しみの紗にかすんだ薄闇にわたしは見るのです わたしたちの淫らな想いのまっ青な剣の傷あとが 縦横十文字うぬぼれのまっ赤な肉に刻まれているのです 「誘惑」モーリス・メーテルランク 彼女は帰った。

メーテルランク『温室(Serres chaudes)』1889

10日間の休暇も残す所3日。この休みに私は何をしただろう? 幾度目かの禁煙を始めた、特筆すべきはそれ位。あとは平生と変わらない。だがそれでいい。連休に出掛けるべきではない。先日薔薇園に出掛けたが、薔薇の馥郁たる香が愚衆の臭気に覆われて、私は文字…

ウォレス『仮面の男(The Man in the Iron Mask)』1998

ランダル・ウォレス監督作。ルイ13世~14世時代の鉄仮面伝説と三銃士物語(Les Trois Mousquetaires)に着想を得た本作。ジョン・マルコヴィッチ、ジェラール・ドパルデュー、『ミッション』のジェレミー・アイアンズ。矢鱈に俳優が豪華だが、節操無く、不快な…

20230430日記

雨の音で目を覚ます、直霽れた。復活節第4主日、第1朗読の為登壇する。情けなく脚が顫えた。

ラプノー『シラノ・ド・ベルジュラック(Cyrano de Bergerac)』1990

ジャン=ポール・ラプノー監督作。ラプノーは寡作だが、ルイ・マル作品の助監督や脚本を務めており、その実力は折り紙付き。本作は1991年のセザール賞を獲得。シラノをジェラール・ドパルデュー、ロクサーヌをアンヌ・プロシェが演じる。コメディ・フランセー…

「反時代的精神の正当性; 齋藤磯雄とカトリシズム」『三田文學』84巻82号 2005

晴れ。長期休暇の初日。 駒場の前田侯爵邸の敷地内にある日本近代文学館に出掛ける。『ヴィリエ・ド・リラダン移入飜譯文獻書誌』の閲覧が目的である。CiNiiで検索したのであるが、公の図書館には一切所蔵がなかった。斯様に貴重な一册が、何故この文学館に…

リラダン『アクセル(Axël)』1890 再々読

幾度目かの再読。 人の世の否定。須臾の裡に楼閣は崩れ、肉は腐り、思想は消え失せる。だから「非創造・実在≪つくられずしてあるもの≫」の裡に遁れ去れ。本作に於る教役者は斯く唱える。だがサラとアクセルはこの理想を抛棄する。「黄金の夢」が、「青春」が…

20230423日記

曇り後霽れる。風が冷たく心地よい。 復活節第三主日。先日仕上がったトラバルドトーニャのベージュスーツに身をつつみミサに与る。ミサ後レモネードを配る(?) 近所のフランス旗亭で食事を済ませ、銀座に向かう。「ブリッヂ」でMと会う。数えてみた所4年ぶり…

チャコフスキー「スペインの踊り」『白鳥の湖』より

www.youtube.com 第三幕の音楽。スペインではあろうけれど、寒村だろうか。 ランキング参加中音楽

20230416日記

主日ミサをサボタージュし、午前を微睡みの裡に過ごす。ランチを逃す。 映画を観に行くか、植物園に行くか迷ったが、天気が良さそうだったので後者を選擇する。躑躅が見頃を迎えている筈だ。 茗荷谷驛で降りると、あなや篠突く雨。こんな事なら映画に行けば…

モーリス・ピアラ『悪魔の陽の下に(Sous le soleil de Satan)』1987

モーリス・ピアラ監督作。1987年のパルム・ドール、フランス人監督の作品に同賞の與へらるは、1966年クロード・ルルーシュ『男と女』以来、實に21年ぶりの事であった。 『ダントン』、『終電車』のジェラール・ドパルデュー(Gérard Depardieu)、『冬の旅』、…