Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

ハーマナス『生きる LIVING(Living)』2022

オリヴァー・ハーマナス(Oliver Hermanus)監督、カズオ・イシグロの脚本による黒澤明監督『生きる』1952のリメイク。

 

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1953年の英国。London County Hallに務める定年間際の凡庸な役人。生気の無い姿はMr. Zombieと渾名さる程。さうした彼が胃癌に罹り、自らの余命幾許も無いと知つた時、初めて生きる事の意味を問ひ直す。

1950年代の映像、弦楽の音を使ひ、擬古的な映画作りをしてゐる。意識的に使われる英国式の堅苦しいReceived Pronunciation。映画のオープニングと偕に、私の體内に大量のセロトニンが分泌されるを感じた。

原作へのオマージュの挿入。野球、ではなくクリケットで活躍する幼き息子の姿、雨の日の葬列、ねじ捲きのうさぎの人形。主人公が歌ふは「ゴンドラの唄」、でなく「The rowan tree(ナナカマドの木)」。スコットランドの古い歌らしい。

 

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Oh! rowan tree, oh! rowan tree,
ナナカマドの木よ
Thou'lt aye be dear to me,
かけがへのない君の
En twin'd thou art wi' mony ties
巧みに重なる枝々こそ
O' hame and infancy.
僕の故郷、僕の思ひ出
Thy leaves were aye the first o' spring,
君の葉は春のおとづれ
Thy flow'rs the simmer's pride;
君の花は夏の誇り
There was na sic a bonnie tree
君より素敵な木はない
in a' the countrie side.
僕らの累代の土地に於て
Oh! rowan tree.
ナナカマドの木よ

 

扨て、些か批評をさせてもらう。かういふコスチュームプレイにありがちなのだが、何でも小綺麗にしてしまふ嫌いがある。例へば役所に嘆願を出しに来る労働者の妻たち。何故あれ程綺麗な恰好をしてゐられるのだらう?そんな余裕が彼女らにある筈がない。

上記と関係あるが、全体的にオリジナルの辛辣さは陰を潜め、それに伴ひ主人公の惨めさも軽減されてゐる(主人公を冴えない中年に描きたいのだらうが、ただ立派な英国紳士に見える)。その性為で後半の盛り上りに缺ける。heartwarmingな作りでなければ現代に於て商業的に成功しないのは分るが、この点大変残念に思ふ。

又、撮影技法、カットの入れ方など、オリジナル作品が紛れもない「映画」であるのに対し、此方は飽く迄ドラマである。

 

散々書いたが、私はこの映画の出来を評価する。カズオ・イシグロが係る作品は服飾が可い。次の秋、黒のフランネルスーツを作らうと、私は心を決めたのであつた。