Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

パリ紀行(6)_ルーヴルにて 

昼下がりの公園にて、年端も行かぬ5歳位の少女が入口を通ろうとしていたから、私は戸を開けて彼女を通した。すると彼女はこちらを振り向いて、顔を斜に、口元に微笑を湛え乍らmerci, monsieurと、いとも優雅な挨拶を私に返して、軽やかな足取りで去って行った。私の心は甘美な情緒に涵った。

 

本日はルーヴル美術館へ。態々予約をした上で(展示の予約など生涯で初めてだ)。

ドラクロワの絵画を見れたらそれで良し、混雑するだろうし早々に引上げようと考えていたのだが、あの広大な宮殿内、地図を見ない私は案の定、道を見失った。

気が付くと私は彫刻展示室にいた。白い大理石の肌を持つ、全き肉体を持った彫像たちに囲繞されている裡に、或る観念が私を捉えた。美くしい、いとおしい。私はギリシア式の愛<エロス>に眩きを覚えたのだろうか。これら冷たく心無き岩石を愛撫したいと云う欲求を、抑える努力が必要であった。精神の危険を感じたので足早に移動をしたが、既の所でピグマリオンであった。神なき功利主義社会を生きるピグマリオンに救いはない。

 

絵画室に着いた。人間と呼ぶ事に憚りを覚える者々はモナリザ方面に向うから、こちらの人影は稀。変り映えのしない風景画が並ぶ長い道のりにうんざりし乍らも、見たかったものは、一通り見る事ができた。

レンブラント。復活したキリストの『エマオの晩餐』。

ワトー。『シテール島の巡礼』。

ドラクロワ。『第四回十字軍コンスタンチノープル入城』。

彫刻室で受けた極めて強烈な印象を、絵画室でも引きずった。

 

続いて用は無いが16区方面に。ミラボー橋、近くに齋藤磯雄先生の定宿があったとか。

エッフェル塔を望む。

モーツァルト通。16区は東京に喩えると「世田谷区」。

偶然通ったノートル・ダム・ド・ラソンプション・ド・パッシー教会。wikipediaは「パッシーの聖母被昇天教会」と記せば良いのに。

マルモッタン・モネ美術館。並んでいたので入館しなかった。常々思う事のだが、どうしてアジア人種の女は印象派の絵画を好むのだろうか(好むと云っても、別に詳しい訳ではない)。聖書やギリシア神話の前提知識が要らないから、取っ付き易いのだろうか。馬鹿の一つ覚えだろうか。私はモネやルノワールを気の毒に思っている。愚者の賛美程、厭わしいものは無いからである。

 

明日帰国する。最後の夜はサント・クロチルド聖堂で、最後の主日はサン・ニコラ・ドゥ・シャルドネ教会でミサに与る予定である。エピファニー(公現祭)だから、ガレット・デ・ロワを戴くとしよう。

 

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