Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

20240413日記_西洋美術館にて

乱文になるが、もう以前のやうに平日ゆつくりと書く事のできぬ故、忘却するよりは文章に残して置きたいと思つた次第。

此頃の私の顔には、拭へぬ生活の痕が顕らかである。又、立居振舞や言ひまわしから、余裕が消えたと思ふ。平生のやうに仏蘭西料理店でマダムと会話をしてゐて、さう思つた。怕くなつた私は上野の西洋美術館へと出かけた。

 

この行動は説明を要するだらうか。私の症状は病める魂に起因するのだ。魂への処方箋は愛、信仰、芸術、つまり「美」である。私は美の奔流に洗はれたかつた。Lavabis me Domine.

 

ところで、西洋美術館にキリストの復活を描ゐた絵画の所蔵はあるのだらうか。寡聞にして知らぬ。磔刑図や、ゲツセマネの園の絵は幾枚かあるが。

 

本日の訪問で、私の心を捉へた二作品を記録して置く。

パオロ・ヴェロネーゼの『聖女カタリナの神秘の結婚』。アレクサンドリアの聖カタリナは気高く聡明な女性。皇帝に膝を屈する事を拒絶して殉教した。このまへ、六本木の国立新美術館で彼女の殉教図を見た覚えがあるが、げに彼女は殉教の姿ばかりが描かれてゐる印象。

 

ギュスターヴ・ドレの『ラ・シエスタ、スペインの思ひ出』。ルーヴルでもさうであつたが、ドレは私を惹き付ける。この絵は以前は展示されてなかつたのではないか。光の調子が大変良い。