藝術家は美に對する精妙な感性があればこそ藝術家なのだが、この感性には同時にまた、あらゆる醜あらゆる不均衡に對する精妙な感性が含まれてゐる。詩人は不正のないところに決して不正を見ないが、俗眼には何も見えぬところに屡ゝ不正を視る。詩人の過敏といふものは、俗に云ふ気質とは無関係であり、缺陥や不正に對する異常な明察にかかはることなのだ。(エドガー・ポー)
アラン・コルノー監督作。17世紀の仏宮廷音楽家マラン・マレーと、彼に「音楽」を教えた師サント・コロンブとが登場し、「芸術家の孤独」を描く。ジェラール・ドパルデュー、『イヴォンヌの香り』のジャン・ピエール・マリエールが出演。美くしい映画だと思う、『ヴェラ』に通ずるものを見た。
劇の最後でサント・コロンブは云う。
音楽は言葉で語れぬものを語る。だから神のものではない(神は語られる)。況や俗世のものでもない。音楽は死者のためのもの。音楽は言葉なきものへの、せめてもの慰めである。
マレーは幼少の砌サン・ジェルマン・ロクセロワ教会の聖歌隊に属していたという。この教会の名を聴いて、ルーブル宮近くの斯の教会かとすぐ把握できるあたり、過日の巴里旅行は無駄ではなかった。
Youtubeでリュリの「トルコ人の儀式のための行進曲(Marche pour la Cérémonie des Turcs)」を検索すると、下の動画が表示され、昔から繰り返し視聴していたのだが、この映画が出典であった。