Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

中村義洋『ゴールデンスランバー』2010_竹内結子に就ての覚書

ゴールデンスランバー』といふ映画を見た。コメディ調で趣味では無いと思つたが、竹内結子が出演してゐるとの事で。竹内結子ファンの方の推薦。

 

私は小学生の頃から、好きな女優を問はれると必ず竹内結子と応へて来た。彼女の追つかけではない。出演作品も数作しか知らない。だが『いま、会いにゆきます』といふ映画で彼女を知つて以来、私は囚はれてゐるのだ。上の画像はその映画から。黒き髪と眸、それと好個の対照を為す白絹の肌。気品に満ちた立居姿には、貞潔の白きローブがよく似合ふ。

 

だが一体、かくも私を魅了するのは、彼女の何であらう。それは唯物的な見目形以上のもの、彼女の表情(countenance)である。彼女は何かを思ひつめたやうな表情を作るのが上手く、その表情に拠つて「悲しみを裡に秘める女性」を演出する。

 

「裡に秘める」と云ふのが要点である(大びらに不幸を喋々する女の何が魅力であらう)。かうした表情とはニュアンスに過ぎぬから、その悲しみの詳細を、男はつひに摑む事ができない。摑み難き何者かの存在が、彼女に卓越性と神秘性の面帕<かほぎぬ>を纏はすのだ。彼女はチュリヤ・ファブリヤナ侯爵夫人さながらの永遠の女性、メリザンドさながらの妖精である。私が彼女を崇拝する理由はこれで十分だらう。

 

この稀世の女優は数年前に縊死した。有名人の死に対して悲しみを覚えるのは、これが初めての事であつた。

 

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