Epistula ad mē

美というものは、芸術と人間の霊魂の問題である

堀洋一『ボウ・ブランメル(Beau Brummell)』1979

生涯が美しくあるためには、その最期は悲惨でなければならない

                         オスカーワイルド

 

牧神社上梓。
ボウ・ブランメルの伝記。ちょっとした服飾史を兼ねている。
内容の殆どが先行研究の受売りで、とても学術論文には為らないだろうが、ブランメルパブリック・スクール時代から、その栄華の極みとカーン(Caen)での客死まで、よくまとまっている。良い娯楽書だった。

本書の他、何点かダンディズムについての文献を残している著者であるが、全く情報がない。研究者ではないし、実業家でもなさそうだ。後記にて斎藤磯雄氏や生田耕作氏に謝意を示しているが、面識はあったのだろうか。
堀洋一氏、本物の好事家<ディレッタント>のようだ。

 

以下、引用

 

ダンディズムとは、

「人格の藝術」である。

 

彼は、「自由である」ことと「己れの生涯を挙げて美の崇拝のために捧げる」ことを自らに誓ってオクスフォードを追われた、あの詩聖シェレーのごとく、なによりも不羈独立を、なかんずく「独創性」を重んずる人間であった。

 

中庸にして控え目な優雅、皮肉や機知や逆説の天才、なかんずく韜晦の趣味。

 

シャルル・ボードレールをして「完璧な見繕いは、絶対的な簡素さのなかにある」と言わしめた、その簡素美、単純の美。

 

「わたしが社交界でとりわけ既婚女性に親しくするわけは、彼女たちを通じて立派な知り合いができるからだ。それに相手をしていても、独身女性よりはるかに面白く、またそれほど退屈しなくても済むからね。」

二十そこそこのブランメルの言葉である。

 

彼の恋愛並びに愛の告白は、まさに彼その人のようにファッショナブルで優雅なものだったが、結局のところ、それは「つくりものの涙」同様、頗る技巧的、人工的なものでしかなかったのである。

 

今際の際、

彼の脳裡にうず捲くものは、ただに空虚と憂鬱と、悲哀と感傷と…くわえて言いようのない孤独感、挫折感のみでしかなかった。「実践美学、自己の藝術化」を全うするため、自らに課した「優雅の基準」を固守せんと、万難を排して立派に闘い抜いてきたにもかかわらず。