生涯が美しくあるためには、その最期は悲惨でなければならない
オスカーワイルド
牧神社上梓。ボウ・ブランメルの伝記。ちょっとした服飾史を兼ねている。ブランメルのパブリック・スクール時代から、その栄華の極みとカーン(Caen)での客死でを纏める。以下、引用。
(ダンディズムとは)人格の藝術である。
彼は、「自由である」ことと「己れの生涯を挙げて美の崇拝のために捧げる」ことを自らに誓ってオクスフォードを追われた、あの詩聖シェレーのごとく、なによりも不羈独立を、なかんずく「独創性」を重んずる人間であった。
中庸にして控え目な優雅、皮肉や機知や逆説の天才、なかんずく韜晦の趣味。
シャルル・ボードレールをして「完璧な見繕いは、絶対的な簡素さのなかにある」と言わしめた、その簡素美、単純の美。
「わたしが社交界でとりわけ既婚女性に親しくするわけは、彼女たちを通じて立派な知り合いができるからだ。それに相手をしていても、独身女性よりはるかに面白く、またそれほど退屈しなくても済むからね。」
彼の恋愛並びに愛の告白は、まさに彼その人のようにファッショナブルで優雅なものだったが、結局のところ、それは「つくりものの涙」同様、頗る技巧的、人工的なものでしかなかったのである。
彼の脳裡にうず捲くものは、ただに空虚と憂鬱と、悲哀と感傷と…くわえて言いようのない孤独感、挫折感のみでしかなかった。「実践美学、自己の藝術化」を全うするため、自らに課した「優雅の基準」を固守せんと、万難を排して立派に闘い抜いてきたにもかかわらず。