『キリスト教精髄』の第二部第四編(「情熱の空漠性について(Du vague des passions)」にある挿話。一般的には「世紀病」を表現した典型的な作品と看做されている。欲望が抑圧された結果として生じた孤独、憂愁、厭世に代表されるルネの魂は、シャトーブリアンに続くロマン派の作家たちによって、様々な形で描かれた。
移ろい易い世に生まれ、心の平安を得られない青年ルネにとって、感動に値するものは姉メアリーと過ごした幼い日の記憶だけであった。やがてメアリーが修道院に入るとき、姉弟の間を越えた愛情を抱いていたことに気が付いたルネは宿命に絶望し、すべてを捨ててアメリカへと渡る。
しかしシャトーブリアンが描きたかったのは、世紀病に冒されたこの弱弱しい青年であったのだろうか。いや違う。彼が目指したのは、この青年を断罪することだったのだろう。ルネの独白を聞終えたスーエル神父はこう言う。
わしの目に映るのは、妄想にとりつかれて何もかもおもしろくなくなり、社会に対する責務をのがれて、無用な夢にひたっているひとりの若者の姿だけじゃ。おまえに言っておくが、人生をいまわしいものと考えたからといって、すぐれた人間だとはけっして言えないのだ。(…)おまえは心の憂さばかりが多いいまの風変りな生活に見きりをつけねばなるまい。仕合せというものは、平凡な生き方の中にしか見いだされないのだ。
社会は専らルネの病状にのみ共感して、この物語を持て囃した。そういう時代だったのだろう。だが私は、シャトーブリアンの冷徹な眼に好感を持つ。
フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン(François-René de Chateaubriand),1768-1848
ブルターニュ出身。子爵にして、外交官にして、作家。革命後のフランスに於いて、解放された自我とブルジョワ社会との対立を深刻に表現するフランス・ロマン主義の父。