Epistula ad mē

美というものは、芸術と人間の霊魂の問題である

リラダン『脱走(L'Evasion)』1887

一幕からなる散文の劇。エピグラムはヨハネ福音書から「ラザロよ、出で来れ」。
ここに云うラザロは、ルカ傳第16章の貧しき者とは別人。ベタニヤのマリヤ、マルタの兄弟で、イエスの友人。ラザロは病に拠りて一度死ぬが、墓におかれて四日を経たころ、イエスが涙を流し「ラザロよ、出で来れ」と呼び給へるに、黄泉より立ち戻った。
こうした背景から当句は、キリストの贖いにより(広義的に)死んでいた人々が「生」に立ち返ること、すなわち「回心」のイメージとして、引用されることが多い。

話を戻そう。執筆は1871年頃、ヴィリエは遅筆を揶揄した友人達を愕かすために一晩でこれを書き上げたという。内容は、徒刑場から「脱走」した罪人が、純真な若き伉儷に感化されて、大人しくお縄を頂戴されるというベタなもので、さほど面白くない。

さて、私はこの『脱走』を以て、和譯のなされたヴィリエの小説、戯曲を読破したことになる。斎藤磯雄氏に翻譯されたヴィリエの美文は、何度読返しても良いものではあるが、寂寞の念を禁じ得ない。先に進むためには仏語を習得する他あるまいか。VA OULTRE<超えてその彼方に行け>。