眠れぬ為日記をつける。
小雨、過し易い。フォーレのレクイエムを聴く。
近頃政治が煩いが、私にとって国家など、偶然に生を受けた土地以外の何でもないから、どうなってくれても構わない。喩えこの国の輿論が寛容を喪い、我々に対して(つい80年前の様に)攻撃的な態度を示そうとも、我々の在り方は一つしかない。それは毅然として揺ぎなく我々の信仰を堅持すること。若しこれが冒されるのであれば、
『われら往きて彼と共に死ぬべし』ヨハネ傳11:16
斯く平生は殊勝なことも言えようが、慢心や自己陶酔は斥けなければならない。イエス様は斯ようなことを戒めておいでだし、悪魔にいつ嗾かされるとも判らぬのだから。
『なんぢ我がために生命を棄つるか、誠にまことに汝に告ぐ、なんぢ三度われを否むまでは鶏鳴かざるべし』ヨハネ傳13:38
聖シモン・ペトロですら一度屈したのだ、私如きがどうなるかなど、目に見えている。主よ、冀はくは世の終りまで、我を嘗試に偶はせ給ふな。我が魂の全きを、御前に捧げ奉らんが為なり。