復活前晩、教会には行かず、聖書も紐解かず、寂しさ空しさを紛らわせたい一心で、Tinderを開いて只管に指をスワイプ。
心が麻の如く乱れ、頭の動きは鈍り、苦しい日々を過ごしている。
こういう時に軽挙に出てはならない事を、私は経験から学んでいるから、堪え忍びたい所であるが。
神は無意味なものを創造されない。だから私が感じている負荷にも必ず意味はある。...都合よく神を持ち出すあたり、いくら退廃を気取ってみても、私の根本にはカトリシスムがある。
信仰に立ち帰って見ようか。そう思えたのは、御主御復活の効験ではなかろうか。
本日は桜下の茶会、その後で良いから、教会に寄ってみようか知ら。