Mon Cœur Mis à Nu

But, darlings, the show must go on.

20250103日記_パリにて

 

諺に旅は道づれと申し候へ共小生にとりては旅の道づれ程堪へがたきものは無之候。

 

昨年末から巴里に遊んでゐる。1月の中旬までゐる予定。昨年は可成り詳細に旅の様子を記したが、今年はその気はない。書く気が興らないのに書く必要は、当然の事乍ら、無い。

 

ノートルダム大聖堂を見たり、ヴィリエ・ド・リラダンを詣でにペール・ラシェーズに展墓したり、またヴィリエ・ド・リラダンの「復活の像」を拝みに、マレのカルナヴァレ美術館を訪うたり(現在展示されてをらず無念)。

 

本日は聖ジュヌヴィエーヴの祝日、彼女はパリの守護聖人であるためか、平日のミサ乍ら参列者は多かつた。キリアーレは2番"Kyrie Fons Bonitatis(主よ、善なる泉よ)"、一級祝日に歌はれる荘厳なミサ曲。

 

矢張り「音」が私を昂揚させる。食事にファッション、これらは東京で十分に上等なものが手に入るから、重要事ではない(昼餉、スズキのフィレ・ソースヴィエルジュに舌鼓を打つた癖に)。だが音は?東京の教会に、天使のラッパさながらの嚠喨たるオルガンの音が響くか?東京の街に、日毎、人々に修身と敬虔の念を起させる晩鐘のどよめきは聴こえるか?

 

音は、思想や観念を明示、具体に説明するといふことをしない。それなのに、それが可能である書物や絵画よりも、率直に私の内奥まで浸透し、私の心をゆさぶるのだ。