Mon Cœur Mis à Nu

But, darlings, the show must go on.

市村崑『破戒』1962

過日、仕事で関西に伺った折、シンポジウムに大学の指導教授も来ており話をした。「ところで君は美濃の出身であったね」と仰るので、そんな些事を覚えている学者の記憶力に感心しつつ、その問いの真意を尋ねた所、『破戒』の作者、島崎藤村の生まれた中津川は馬籠宿で年越しをするのだと、素敵な計画を聞かせてくださった。

 

『破戒』、戒めを破ると書いて破戒である。信濃川(千曲川)河岸の飯山が舞台。明治という新しい時代に現と在る陋習。主人公は悲壮な生涯と死を遂げた父からの言い付けを破り、自らが部落の出であることを告白し、皆に身分を隠していたことを、教壇に手を付いて謝罪する。これまでに幾度となく映像化されているが、私が視聴したのは文学を映像化させたら右に出るものはいない、市村崑によるものである。

『炎上(金閣寺)』に続き市川雷蔵が主役を張り、また中村鴈治郎は助平な住職の役を演じる。更に部落解放運動に身を投じる猪子蓮太郎の役を三國連太郎が演じているが、いつだったか彼は利休も演じていたが、三國の面持ちや声は実に立派なもので、適役なのだろう。ただし現実の三國に良い評判はないので、「人は見かけによらない」ということである。同様に島崎藤村も、いくら立派な小説を書こうと、その生涯は注ぎ得ぬ恥でべっとり。私はそうした人間の書物を避けているのだが(尤もこうした態度は芸術愛好者として好ましからざるものと云えようが)、夜が長くなる秋にお誂え向きだろうと、彼の『夜明け前』を註文してしまった。