Mon Cœur Mis à Nu

But, darlings, the show must go on.

20250221日記

 

君ならで誰にか見せむ梅の花

色をも香をも知る人ぞ知る

 

晴、雨水と言ふだけあつて、雪を溶かすその陽光は、最早冬のものではない。

今朝の新聞に、米国民のトランプ氏支持に関連付けて「反知性主義」といふ言葉の解説があつた。これはトランプ氏の言動を指差して「凡そ知性的でない」と非難する言葉ではなくて、スノッブなエリートが、権威と結び付いた知性を過信して、設計主義的な政策を採ることへの「否」を意味する言葉である、と。

昨今は、リベラリスムからリアリスムへの回帰が流行であると、さういふ論説が多いし、事実その側面はある。だが軍備増強、一国主義の追求即リアリスムと捉へるのは間違ひだ。それはリアリスムの論理の豊かさを蔑ろにするものだ。リアリスムとは、相手の意図を理解しようと努め、妥協点を探り、対立の先鋭化を防がんとする姿勢である。バランス・オブ・パワーを構築、維持せんとする意図的な努力の事である。翻つて今の世はどうだ?自称リアリストの脳筋戦争屋と、ますます頑冥固陋、偽善家のリベラリストしか居ないのではないか。

 

本日は、近所の仏蘭西料理店で昼餉をした。マダムから先日渡した巴里土産の御礼を受ける、シナノキとアカシアの花の蜜を混合した巴里ブレンドは好評であつた。

 

梅の花が咲いたと知人から連絡を受けて、居ても立つても居られなくなり、代々木公園へ向かう。果してよく咲いてゐる。木洩れ日の温かさと腐植土の匂ひとを感じ乍ら、悠々と逍遥するに、俄かに馥郁と春の息吹。見上げれば、満開の白梅。

その後、泉屋博古館で「花器のある風景」なる展示を拝見。冷泉家画賛の玉堂富貴図に描かれた大きな金属製の水盤と、先刻の梅の記憶とが結び付いて、とある故事を思ひ出した。

豊太閤が水を張つた大きな金属製の器と、よく咲いた梅とを持つて来て、利休これを活けよと命じた。利休はおもむろに花をむしつて水に浮かべて見せた、と。

さつきの馥郁と薫る見事な梅も、あのままでは茶花には成り得ないのだらうな。

 

今に始まつた事ではないが、記憶力の低下が著しい。短期的なもの長期的なもの問はず、あらゆる記憶が抜け落ちて行く。