Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

太宰治『ヴィヨンの妻』1947

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太宰作品を一通り読んだのは7-8年前の事と記憶している。夏休みに市民図書館で。それ以来読み返すこともなかった。

ヴィヨンとは、15世紀の詩人フランソワ・ヴィヨンのこと。無頼の人生を送ったことで知られている人。生涯幾度も罪を犯し絞首刑を言い渡されたこともある。作中の大谷は、まさしくヴィヨンのような生き方をする無頼漢。

読んでいて流石だと思ったのは、たった原稿50枚程度の短編であるが、その裡にも太宰の世界は完成しているという点。退廃的で、荒んだ心の世界。

太宰ファンという者は一定数いる。何故彼等は太宰作品を愛するのか、僕は知りたいと思う。私にとって太宰作品とは、教養と品格の欠落。強烈なナルシシズムの発露。最も不快なのは、太宰作品に出てくる女の醜さだ。太宰如きに操られる都合良い下等生物として描かれていて、女の尊厳を貶めていると思う。

だが太宰の描く女こそ、現実の女の姿に近いのだろう。彼は随分とモテたようだし、よく女を知っているだろうから。

 

「女には、幸福も不幸も無いものです」