Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

宮崎駿『君たちはどう生きるか(The Boy and the Heron)』2023

公開中のジブリ映画『君たちはどう生きるか』を劇場で鑑賞。吉野源三郎の同名小説からの類推で、リアリスムに基いた作品だと勝手に想像してゐた。記録を残す迄もないと思つたが、一応。

 

始まりは或る意味「期待通り」だつた。堀辰雄的な世界、即ち格子窓とエーテル。ブールジョワ的優雅。戦争末期、暗澹とした社会に生きる少年が、何かしらの事件をきつかけに人間性の尊さを見出す。それが社会全体の希望として提示されるのかと。

 

だが違つた。蒼鷺が喋つた。ファンタジーの展開。

 

現実生活への夢の流出とでも呼びたいものがこのときからはじまつた。(ネルヴァル『オーレリア』)

 

「象徴的で分り難い」と取引先の人は云つてゐた。象徴を理解しようと努めるなんて滑稽だ。何故なら象徴とは直感的なものだから。「分り難い」と云ふ評価が出るなら、それは鑑賞者の質(殆ど生得的なもの、人の芸術的素質は血統で決まる。新聞記者の息子は芸術家にはなれない)が悪いか、或いは象徴が成立してゐないかのいづれか。今回は後者だらう。それを世の三文文士共は、今頃色々な論考を立ててゐる事だらう。呵々大笑。滑稽。

 

絵が大変綺麗だつた。東洋的ものから西洋的なもの、又その折衷まで。描かれてゐないものはなかつた。私思ふに、この映画制作に際して監督は、ただ絵画を愉しまれたのだ。

 

ledilettante.hatenablog.com