Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

三島由紀夫『午後の曳航』第一部 夏

 マドロスのドラマだが、登場人物がそれを否定したがっているという面白さ。


 登が母の部屋をのぞき見ることから物語は始まる。三島は「のぞき見」が好きなのだろうか。『暁の寺』でも本多が中年女性とシャムの少女のレズセックスを「のぞき見」をしていた。『若紫』を思い出した。Voyeurism features Japanese traditional culture.

 

 「三島は人物の深層心理を描くのに長けていて」という評価が散見されるけれども、正確でない気がする。彼は自己分析が上手いと言った方が近い。三島の小説に出てくる人物は、どうも彼自身を代弁し過ぎている。13歳の子供や商船高校出の航海士にしては、思考・行動の論理が立ちすぎている。人間はもっと馬鹿だ。

 

 登の友人「首領」の言葉に気になる所があった。

僕たちにできないことは、大人たちにはもっとできないのだ。この世界には不可能という巨きな封印が貼られている。それを最終的に剥がすことができるのは僕たちだけだということを忘れないでもらいたい。

 「不可能」とは、強い言葉である。現段階であまり意味のある台詞とはなっていないけれど、第二部で何かある予感がする。