Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

三島由紀夫『春の雪』

言葉や描写の優美さで云えば、三島の作品中随一だろう。はじめて読んだのは忘れもしない高校3年生の冬、友人が古書店で薦めてくれたのがきっかけだ。今度で4度目になる。滅びゆくものが描かれた作品。情熱に憑りつかれた若者、古風の優雅、維新の気骨、すべてが無情に散っていく。

物語の結末近くに気になった描写がある。婚約破棄の申し出を承けた洞院の若宮の感想。少し長くなるが…。

 

 私は何となく、ずっと以前、私が少尉のころに、宮中で起ったことを思い出しました。そのことは以前にお話し申上げましたね。私が参内したとき、廊下でたまたま、山縣元帥に会いました。忘れもしませんが、表御座所の廊下でした。元帥は拝謁を終って退出するところであったと思います。いつものように通常軍服の上に広襟の外套を着て、軍帽を眼深にかぶって、両手をぞんざいにかくしへつっこんで、軍刀を引きずるようにして、あの暗い廊下を歩いて来ました。私はすぐさま、道を空けて、直立不動の姿勢で元帥に敬礼しました。元帥は軍帽の庇の下から、あの決して笑わない鋭い目で私のほうをちらりと見ました。元帥が私を何者か知らなかったわけはありません。しかし元帥は、つと不機嫌に顔をそむけて、答礼もせずに、そのまま傲岸な外套の肩を聳やかして、廊下を立去りました。
 私はなぜか今、そのことを思い出していたのです。

 

若宮は、神聖不可侵なる立場にあるはずの自らが、実は軽んぜられ、欺かれていることを感じ取ったのだろうか。