Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

ゴーチエ『ある夜のクレオパトラ(Une nuit de Cléopâtre)』1838

画家や音楽家ほどめぐまれない、われわれ文筆の徒は、対象をひとつひとつ書いてゆくより仕方がないのだ。

 

テオフィル・ゴーチエの中短篇。
我々には想像のつかない、古代エジプトプトレマイオス朝の幻想的奢侈を、見えるものとして描き出す。女性崇拝の書。かような恋のできる男は幸いである。

 

フォーレ「贈物(Les Présents)」『2つの歌(2 Mélodies)より』op.46-1, 1887


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数あるフォーレの歌曲の1つである。
詩はヴィリエ・ド・リラダンのもの。『残酷物語』に集録される「恋の物語」の第3篇、「贈物」が出典。
「恋の物語」に集録されている7篇の詩は、恋愛の眩惑、歓び、苦悩、そして忘却に至るまでをうたうのであるが、この「贈物」は恋愛の一番の歓び、すなわち心の交わりを詠んでいて、曲調もそれに相応しく、慈愛に満ちた穏かなものとなっている。

 

Si tu demandes, quelque soir,
或る夜、もし君が求めるならば、
Le secret de mon cœur malade,
僕の病める心の秘密を、
Je te dirai, pour t'émouvoir,
僕は語ろう、君の胸を打つため、
Une très ancienne ballade.
いにしえの譚詩を。

Si tu me parles de tourments,
もし君が苦しみを、
D'espérance désabusée,
醒めた夢を語るのであれば、
J'irai te cueillir, seulement,
ただ君のため、野に出て摘もう
Des roses pleines de rosée.
露にぬれた薔薇を。

Si, pareille à la fleur des morts
死者に手向ける、
Qui fluerit dans l'exil des tombes,
奥津城でも色褪せない花のように、
Tu veux partager mes remords...
君が僕の悔恨を分たんと望むなら、
Je t'apporterai des colombes.
僕は贈ろう、やさしき鳩を。

 

 

 

澁澤龍彦『ジル・ド・レエ候の肖像』1961

ド・レエ男爵の為人や、ティフォージュの居城で冒した罪そのものを記した書にあらず。むしろ時代背景など、ド・レエ男爵の周辺に、記述は集中している。ド・レエ男爵の一代記が読みたければ、脚色はあれど、ユイスマンスの『彼方』の方がよほど良い。

 

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ゴーチエ『オンファール(Omphale: A Rococo Story)』1834

若き日の恋をむしかえしたり、昨日見た薔薇を見直しにいったりするものではない。

短篇小説。壁布に描かれたオンファール(エルメスからヘラクレスを買い取った小アジアの女王)。この絵は、T侯爵夫人にオンファールの服装をあしらったものであった。彼女は夜毎に絵を抜け出し、十七歳の「ぼく」を誘惑する。

オンファールはヘラクレスに糸を紡がせたというが、それを題材とした交響詩サン=サーンスは遺した。ちなみに奉仕の最中、オンファールとヘラクレスは互いの衣装を取替えていたという。何だかエロティックだ。想像逞しくせざる能わず。本短篇にあるのは、こうしたオンファール伝説独特のエロさである。

ゴーチエの作品には深刻な思想がない。あるのは美くしき言葉と、自由闊達な幻想力に由来する、読み物としての面白さである。だからいつでも愉しめる。

 


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ユルスナール『アレクシス あるいは空しい戦いについて(Alexis ou le Traité du vain combat)』1929

私が悔恨を覚えずにはいられなかったもの、それは自分の犯した過ちではなく、自分が自分の手で却けた喜びの可能性だった。

マルグリット・ユルスナール(Marguerite Yourcenar)が最初に発表した小説。主題を同性愛の問題に置いているのであるが、直接に言及は為されない。

内向的な気質の青年アレクシス。彼は自身の同性愛的傾向について思い詰めていた。彼は若い妻の許を去るために手紙を書き残す。その手紙には彼が「精神と肉体の和解」に至るまでの軌跡が記されていた。

文章のまわりくどさ。主人公の言葉はしばしば迷い、前進を躊躇う。リラダンの、ヘーゲル流の明晰な文章に馴れ親しむ身からすれば、読むのに骨が折れる。が、この小説で評価すべきは、多感な主人公の心のうごきそのままを、ユルスナールは見事に描写しているということなのだ。

カトリックの伝統的価値観に対する疑問が、20世紀前半のフランス文学を貫いているのであろうか。禁書にされてしかるべきものばかり。で、カトリック禁書目録を捲って初めて知ったのであるが、モーリス・メーテルランクは全作品が禁書に指定されているのだね。なぜ?  

 

ウェーバー「狩人の合唱(Jägerchor)」『魔弾の射手(Der Freischütz)』より, 1821


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『魔弾の射手』第三幕にあるコーラス。残念ながら私はドイツ語を少しも解さない。Ich spreche kein Deutsch.

 

Was gleicht wohl auf Erden dem Jägervergnügen,
Wem sprudelt der Becher des Lebens so reich?
Beim Klange der Hörner im Grünen zu liegen,
Den Hirsch zu verfolgen durch Dickicht und Teich
Ist fürstliche Freude, ist männlich Verlangen,
Erstarket die Glieder und würzet das Mahl.
Wenn Wälder und Felsen uns hallend umfangen,
Tönt freier und freud'ger der volle Pokal!
Jo ho! Tralalalala!

Diana ist kundig, die Nacht zu erhellen,
Wie labend am Tage ihr Dunkel uns kühlt.
Den blutigen Wolf und den Eber zu fällen,
Der gierig die grünenden Saaten durchwühlt,
Ist fürstliche Freude, ist männlich Verlangen,
Erstarket die Glieder und würzet das Mahl.
Wenn Wälder und Felsen uns hallend umfangen,
Tönt freier und freud'ger der volle Pokal!
Jo ho! Tralalalala!

 

ドビュッシー『ペレアスとメリザンド(Pelléas et Mélisande)』1902

本日新国立劇場まで出掛けて鑑賞。クロード・ドビュッシーが完成させた唯一のオペラ。台本はメーテルランクの同名戯曲殆どそのまま。明確に異なるのは、私が確認した限り、メリザンドが窓辺に坐り、髪を櫛りながらうたう歌くらい(出典は何だろう?)。

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ゴローを演じたロラン・ナウリがインタビューで答えているように、この作品は幅広い解釈が可能。即ち淫靡、不貞な現実物語とするか、或いは、夢に生きんとする男女の魂の交わりを描く、永劫世界の物語とするか。まあメーテルランクを正しく理解していれば、後者の解釈以外あり得ないのであるが。本日のオペラの演出は、「全面的に」前者の立場から為されたものであった。だからであろう。愛の調べに於ては情念が前面に出ており、やや気が引けた。

その他気付いたことなど。
舞台装置は面白かった。光の強弱、色合いの多様さが、ドビュッシーの感覚的な音楽と相まって、良い効果を生んでいた。また歌手陣、オーケストラの技量に対しては多大に満足した。これ程のものを日本で観ることができれば十分。藤原歌劇団などとはレベルが異なる。

 

追記

女性の髪がポルノフラフィックな手つきで扱われることは問題だと思っていました。オペラでも例外ではありません。

演出者はかような考えを持っていたそう。私にとって当該場面は、「若きペレアスの無邪気な愛」を表す大切な場面であると思われ、低俗なポルノグラフィは感ぜられない。歪んだフェミニズムは芸術を損ねるものだ。

こうしたフェミニズムを発揮している割には、第三幕第四場でペレアスとメリザンドが服を脱ぎ互いの肉体を貪る演出など、モラルの欠如甚だしい。

全体として「卑俗な夢」をみているかのよう。「トリスタンとイゾルデ」を彷彿とさせる瑰麗無比な愛の調べを、主婦向けの情念的なメロドラマに下降させた演出家の力量には拍手。

20220703日記

曇り、暑い。やや朝寝坊、少し遅れてミサに与る。いつものフランス料理屋へ。マダムが御病気になられたとか。全快を願って已まない。ヴァイオリンのレッスンの後、伊勢丹へ。マダムに贈る見舞の品を物色、購入。他に用はないのですぐ帰宅。マーラー交響曲第2番と第3番を鑑賞。今週の水曜日はいよいよ『ペレアスとメリザンド』。愉しみで仕方がない。

リラダン『イシス(Isis)』第一部 1862

あなたがあの女の中で愛していらっしゃるものは、実はあなたの願望の実体なのです。『未来のイヴ

ヴィリエが二十四の時の作品。
第二部以下は原稿が失われたのか、未完に終わったのか不明。かのボードレールがこの書について賞賛を送ったことが判っているが、その書簡もまた残ってはいない。

聊か短絡な気もするが、若きヴィリエの所信表明とでも云うべきかな、後年になると二重三重の諷刺を弄して、その真意を容易には掴ませない韜晦の趣味が出てくるところ、本作に於ては彼の思想は明瞭に示されているように思う。

チュリヤ・ファブリヤナ侯爵夫人は「永遠の女性」。無限に美はしく、天を支へる柱の如く強く、智天使らの上に君臨する者の如く全智にして、神そのものともなるべき女性。ストラリイ・ダンタス伯爵は「流謫者」。繊細な感受性、峻烈な純潔、劉喨たる抒情味、絶大の勇気、精妙な審美眼を具えた貴族。

この第一部に於ては、両者の魂の交わりの端緒しか描かれていないのであるが、その始まりを以てして、永遠を感じさせるには十分である。

ある女性を神格化して崇拝することは男の夢だ。この場合、対象の女性が具体的・客観的に秀でた特質を有していることはSine qua nonでない。男が愛するものは、あるがままの女の姿ではなく、創造した思考の人物である。女は亡霊となり、没我的に、その思考の反映体となっていればよい。つまり黙って顔を傾け、その表情に微笑を湛えていればよい。なんという自己中心主義! だがこれがダンディの恋なのである。

 

斑馬 シマウマ
烏滸(をこ) 馬鹿げている有様
御幣(ごへい) ぬさのこと

侏儒(しゅじゅ) こびと
都府(とふ) みやこ
清士 私欲の無い人
弑する(しいする) 目上の者を殺すこと
増上慢 高ぶった慢心のこと
秋(とき)
臺(うてな) 物見台
笞(むち)
迴かなる(はるかなる)
劉喨(りゅうりょう) 音がさえてよく響く様
稀世(きせい) 世にまれなほど優れていること
瑕瑾(かきん) 辱め
曲学阿世(きょくがくあせい) 真理にそむき時代の好みにおもねる
暴戻(ぼうれい) あらゆる道理に反する行為をすること
スティックセニョール ブロッコリーの一種。細長く甘い。
笞罪(ちけい) 鞭打ち刑
余喘を保つ(よぜんをたもつ) かろうじて続いている
イグナチオ・デ・ロヨラ イエズス会創始者の1人にして初代総長。
サザンベル アメリカ南部の理想的な美人
マックス・デーロー(Max Daireaux) 文学者。著書にリラダン研究あり。
森厳(しんげん) 秩序正しく厳かなさま。
鏤める(ちりばめる)
鏤刻(ろうこく) 文字をきざみ文章にすること
瑰麗(かいれい) 非常に美しいこと。瑰麗無比
糊口をしのぐ(ここうをしのぐ) 暮らしを立てること
やおら ゆっくりと動作を起こすさま
来し方(こしかた) 過去
sine qua non あれなければこれなし(必要条件)
しじま 無言
くしび 神秘


20220620日記_恋愛とは

恐らく「恋愛」は生物学者にとって<粘膜の問題>に過ぎず、「女性」は蕩児にとって快楽の道具に過ぎず、「結婚」は西欧の政治家にとって人的資源の向上に過ぎまい。併しながら詩人にとって女性とは、「完璧」の幻であり、恋愛とは「祈禱」であり、婚礼とは「至福」の象徴に他ならない。「蕩児は情人になるが詩人は偶像崇拝者になります」と嘗てボオドレエルは「いと美はしく、いと優しく、いと懐しき」女性に書いた。神秘的な魂に於て、愛慕は容易に本能と肉の羈絆を断ち、一切の功利性と動物性を脱却し、礼拝の香のさなかに普段に上昇し、遂にその対象を聖なる存在、理想による存在、「理想」そのものに化してしまう。恋愛の対象は、いつしか女性の現実を離れ、夢想の幽婉と礼拝の荘厳を帯びた架空の実在となる。何らかの動機によって、夢幻と現実を乖離するこの茫漠たる距離を自覚する時、詩人は墜落の恐るべき眩暈に襲われ、失楽園の悲痛な叙事詩を一瞬の裡に感得するのである。されば、神秘的な魂にとって、恋愛とは失はれし楽園への回想に他ならない。-齋藤磯雄