Mon Cœur Mis à Nu

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

ドビュッシー『ペレアスとメリザンド(Pelléas et Mélisande)』1902

本日新国立劇場まで出掛けて鑑賞。クロード・ドビュッシーが完成させた唯一のオペラ。台本はメーテルランクの同名戯曲殆どそのまま。明確に異なるのは、私が確認した限り、メリザンドが窓辺に坐り、髪を櫛りながらうたう歌くらい(出典は何だろう?)。

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ゴローを演じたロラン・ナウリがインタビューで答えているように、この作品は幅広い解釈が可能。即ち淫靡、不貞な現実物語とするか、或いは、夢に生きんとする男女の魂の交わりを描く、永劫世界の物語とするか。まあメーテルランクを正しく理解していれば、後者の解釈以外あり得ないのであるが。本日のオペラの演出は、「全面的に」前者の立場から為されたものであった。だからであろう。愛の調べに於ては情念が前面に出ており、やや気が引けた。

その他気付いたことなど。
舞台装置は面白かった。光の強弱、色合いの多様さが、ドビュッシーの感覚的な音楽と相まって、良い効果を生んでいた。また歌手陣、オーケストラの技量に対しては多大に満足した。これ程のものを日本で観ることができれば十分。藤原歌劇団などとはレベルが異なる。

 

追記

女性の髪がポルノフラフィックな手つきで扱われることは問題だと思っていました。オペラでも例外ではありません。

演出者はかような考えを持っていたそう。私にとって当該場面は、「若きペレアスの無邪気な愛」を表す大切な場面であると思われ、低俗なポルノグラフィは感ぜられない。歪んだフェミニズムは芸術を損ねるものだ。

こうしたフェミニズムを発揮している割には、第三幕第四場でペレアスとメリザンドが服を脱ぎ互いの肉体を貪る演出など、モラルの欠如甚だしい。

全体として「卑俗な夢」をみているかのよう。「トリスタンとイゾルデ」を彷彿とさせる瑰麗無比な愛の調べを、主婦向けの情念的なメロドラマに下降させた演出家の力量には拍手。