Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

20220620日記_恋愛とは

恐らく「恋愛」は生物学者にとって<粘膜の問題>に過ぎず、「女性」は蕩児にとって快楽の道具に過ぎず、「結婚」は西欧の政治家にとって人的資源の向上に過ぎまい。併しながら詩人にとって女性とは、「完璧」の幻であり、恋愛とは「祈禱」であり、婚礼とは「至福」の象徴に他ならない。「蕩児は情人になるが詩人は偶像崇拝者になります」と嘗てボオドレエルは「いと美はしく、いと優しく、いと懐しき」女性に書いた。神秘的な魂に於て、愛慕は容易に本能と肉の羈絆を断ち、一切の功利性と動物性を脱却し、礼拝の香のさなかに普段に上昇し、遂にその対象を聖なる存在、理想による存在、「理想」そのものに化してしまう。恋愛の対象は、いつしか女性の現実を離れ、夢想の幽婉と礼拝の荘厳を帯びた架空の実在となる。何らかの動機によって、夢幻と現実を乖離するこの茫漠たる距離を自覚する時、詩人は墜落の恐るべき眩暈に襲われ、失楽園の悲痛な叙事詩を一瞬の裡に感得するのである。されば、神秘的な魂にとって、恋愛とは失はれし楽園への回想に他ならない。-齋藤磯雄