Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

函館紀行(3)_厳律シトー会 天使の聖母トラピスチヌ修道院

曇り、27度。

本日はトラピスチヌ修道院に行くと決めていたのに、朝を寝過ごした。時間に余裕もないので昼食は取らず、だが元町教会での祈りは忘れずに済ませて、市電に乗込んだ。トラピスチヌ修道院は正式名を「厳律シトー会 天使の聖母トラピスチヌ修道院」と云う。シトー会と云えば「アトラスの7人の殉教者たち」も同じ所属である。

 

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途中で路線バスに乗換えて目的の停留所へと到着した。ここから修道院の入口までは10分程坂を登らなければならない。修道院入口までの直行便もあったのだが、巡礼で楽をするのは気が引けた為、歩く選擇をした。そういえば以前も同じ様な選擇をしたなと、過去の日記を振返る。

 

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何てことはない坂道であった。路肩には白い花が咲いている。函館市内至る所に簇生するこの花の名はノラニンジンと云い、外来種だそうだ。無数の白い小花が舟型に集まる姿は、レースの編み物の様に可憐である。中心付近の赤い小花を一片咲かせる事があるのだが、それがembroideryで指を刺して、レースに血の雫を一滴垂らした様にみえる事から、"Queen Anne's lace"と云う可愛い英名を持っている。

 

閑話休題修道院の門をくぐると、私を迎えたのは大天使聖ミカエルだった。かつて「たれか天主にしくものあらん(ミ・カ・エル!)」と叫び悪魔を地獄の淵に追い落とし給うた天軍の栄えある総帥。「観想修道院で剣?」と意外の念に搏たれたが、考えてみれば日々靈戦を闘う修道士(女)には、言絶える戦闘精神が求められるに違いない。さらば守護聖人にかの熾天使を戴くは、宜なるかな

 

 

一般来訪者の見学場所は限られていた、聖堂も入場不可。本館を外から眺める。温かみある煉瓦の色、放物線を用いた丸みのあるファサード。ここに峻厳、禁欲的な当別トラピスト修道院とは異なる、女性らしさを見出す事ができはしないだろうか?

神には父の厳しさと母の慈しみがある。この二元性の存在を感じなければ、新訳のイエズス・キリストの教えは理解し得ない。トラピストとトラピスチヌ、2つの修道院の存在は、こうした神の二元性を我々に示すものではないか。