Epistula ad mē

美というものは、芸術と人間の霊魂の問題である

2020.12.31日記

 琵琶湖歌劇場にジルヴェスターコンサートを観に行った。
 レペトワは以下の通り。

チャイコフスキー
 『エフゲニー・オネーギン』からポロネーズ
 ヴァイオリン協奏曲ニ長調
 バレエ組曲くるみ割り人形
ビゼー
 『カルメン』からハバネラ含む3曲
ベッリーニ
 『清教徒』から"A te, o cara"
ヴェルディ
 『ナブッコ』から"Va pensiero"

・フリッツ・クライスラー(encore)
 レチタティーヴォスケルツォ(初めて聴いた)
ヨハン・シュトラウス
 ラデツキー行進曲

大衆向けだ。
チャイコフスキーについて考えた。彼はバレエ曲はじめ標題音楽の作曲家であって、交響曲作曲家ではないと思った。彼には「構成力」が欠如している。1時間弱の曲ともなると退屈させられる。ヴァイオリン協奏曲など、まさにそうではないか。何故演奏頻度が高いのか。

ウィキペディアにこのような記述があった。

初演は、後に、ライプツィヒ音楽院教授となったロシア人ヴァイオリニストのアドルフ・ブロツキーの独奏、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、1881年12月4日に行われた。しかし、指揮者も楽団員も作品を好まず、全くの無理解のうちに演奏を行ったため、その演奏はひどい有様であったという。このため聴衆も批評家もこの作品をひどく批判した。特に、エドゥアルト・ハンスリックはその豊かな民族色に辟易し『悪臭を放つ音楽』とまで言い切った。

これによれば、僕がこの曲を悪く云うのは「無理解」であるからだそうだ。そんなこともないだろう。なぜ曲と初めて出会った時の印象を軽視するのか。