Epistula ad mē

美というものは、芸術と人間の霊魂の問題である

遠藤周作『沈黙』

 キリスト禁制が敷かれていた日本に潜入したポルトガル人司祭の受難を描いた作品である。その名をロドリゴというが、彼は日本人信徒を襲う残忍な拷問とそれに伴う彼らの「殉教」をみる。殉教といえば祝福のうち天に召される幸福であるが、彼の目にはそれが「惨めな死」として映った。こうした中でロドリゴは苦しみのうちにある彼らをみて尚「何故神は沈黙をつづけるのか」という疑問を抱く様になるのである。
 ロドリゴは引き回しの後に牢獄の中で鼾を聞く。彼は不快感を覚えた。しかしその声は穴吊りの拷問を受けている信徒たちの呻き声であった。信仰の為に苦しみを受けてる信徒の呻き声に対しロドリゴはそれを憐れみ祈るべきであった、しかし彼はそれに気付くことができずそれに対し呪いの言葉を口にしたのだった。彼は苦悶し「何故神はこの苦しみを我らにお与えになるのか」分からないでいた。
 彼は絵踏を行えば拷問を受けている人々を解放すると嗾けられる。祈り続けても信徒たちは苦しみから逃れることができない。彼はイエスの顔を踏んだ。足には鈍い痛みが残った。

  しかし結果としてこれらの苦難はイエスが彼らを見捨てた故ではなかった。ロドリゴが感じた痛みはユダが感じた痛みと同じであり、すべてが神の意志に適うものである。神に主体があるという教えの根本をロドリゴは思い出したのだ。